B29空襲で逃げ回った母、B29のパイロットだった親友の父

幼稚園、小学生の頃、就寝前、布団の中で母は、太平洋戦争中、B29の空襲で逃げ回った話をしばしばしました。1974年フルブライト交換留学生としてテキサス州ヒューストン市(人口200万の全米第4の都市)にあるライス大学建築大学院で学んだ際、多くの親友ができました。その一人、Tim Watsonはよく自宅に招いてくれ、シェフの奥さん(ドイツ人)の手料理で私を歓迎してくれた。ある時、実父はB29のパイロットで、日本で撃墜され、遺体も墓もない、日本そのものが墓場だと聞き、私は驚きました。

子供の頃母から聞いた話で、B29の空襲の際、高射砲で撃墜され(まぐれでしょう)、落ちてゆくB29を目撃したという話も聞きました。もしかしてその時のB29がTimの父親が操縦していたかもしれません。当時、親同士は戦争をし、子供同士は親友。1976年、私の両親がヒューストンを訪問、Timの家にホームステイ。両親は彼の実母と継父にも面会しました。1985年Timは東京を訪問、私の家にホームステイ。

運命の不思議を感じます。戦争がない仕組みを構築しなければなりません。しかし、ただ、戦争反対と叫んでいるだけではだめです。具体的な方策が求められます。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です