平泉展開催中、スケッチを展示

平泉展(ヘイセンテン)第32回が六本木の新国立美術館で1月22日(水)から2月3日(月)まで開催されています。保坂先生が主宰する会です。お時間ありましたら、また、ついでがありましたら、ご覧下さい。私は毎回建築スケッチ(A-2サイズ)2点と建築のコンセプト模型を出展します。今回は山形市にある済生館のスケッチとフィンランド、ヘルシンキ工科大学学生センターのスケッチを製作、出展しました。

済生館は明治時代の洋館建築です。明治9年(1876年)当時の県知事三島通庸が洋式の病院建築建設を決定、筒井明俊を設計者に指名し、上京させ洋式の病院建築を視察、ドイツ人医師の助言を基に平面図を作成。棟梁は高橋長左衛門。同じく上京し洋館建築を視察。明治12年太政大臣三条実美が「済生館」と命名、揮毫しました。資料が限られている中、素晴らしい建築を作りました。設計者と大工の能力の高さを示すものです。木造で、中庭を囲む14角形のドーナツ状。明るいパステル調の色彩。ポップな様式。当時の知事、設計者、大工の意欲で、伝統にこだわらず新しい様式を創造しようとした努力を評価したいと思います。私は済生館は何度も訪問、いずれスケッチを製作しようと思っておりました。やっと描くことができました。今日の建築家ばかりでなく政治家も当時の関係者が前例にとらわれることなく斬新な病院建築に挑戦したことを学ぶべきです。愚かな港区N部長が「何かやろうとした際、前例に有ません。」と発言したこと今でも苦々しく覚えていますが、明治初期の政治家や官僚よりもたちが悪いです。早く引退しろと言いたい気持ちです。

もう一つのスケッチはヘルシンキ工科大学の学生センター。これも造形的に意欲的なフォルムです。設計者はレイマ・ピエティレ。縦、横の線でなく、自由奔放な、かつ、鋭角、岩石のようなフォルムのデザインです。学生時代、レイマ・ピエティレの建築にあこがれ見学に行きました。1971年、スウェーデン留学中にピエティレに手紙を書き、面会を申し入れしましたらOKの返事をいただき、ヘルシンキにある氏の事務所を訪問し、彼の造形論について質問しました。その顛末は1972年の早稲田建築に投稿しました。これも思いで深い建築で、ぜひスケッチに描きたいと思っておりました。私はブルガリアの国際建築アカデミーで客員教授を仰せつかっておりますが、ピエティレ氏はアカデミーの正会員でした。

後は、某公共施設のイメージ検討の習作のためのコンセプト模型を3点製作、展示しました。本当の目的はボケ防止と仲間づくりです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です