海外旅行・人を成長させる。異文化理解に欠ける港区幹部。

週刊新潮2月20日号で佐藤優(元外務省職員)と旅行会社エイチ・アイ・エス社長沢田秀雄の会談記事を読み納得です。お二人とも学生時代海外旅行をし、異文化を学びました。佐藤優はエジプト航空でヨーロッパに行き、鉄道でドイツ、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ロシアを旅しました。沢田秀雄はシベリア鉄道でドイツに行き、ドイツの大学で学びました。お二人とも「旅行しながら異文化に接し、また、トラブルに遭い、人間が成長しました。」と語っています。

私も1969年、まだ1ドル360円の時代、早稲田大学の交換留学生としてアメリカ、オハイオ州のウースター大学で1年間学びました。また、1971年スウェーデンの設計事務所で技術研修を受けました。シベリア鉄道に乗りスウェーデンに行きました。1974年フルブライト奨学金で再度アメリカ、テキサス州ヒューストンにあるライス大学建築大学院に留学しました。留学の間、アメリカの都市を多く訪問しました。スウェーデン留学ではナホトカ、ハバロフスク、モスクワに滞在、社会主義の国に触れました。都市の雰囲気を感じ、人々と接し、それぞれの異なる文化に接しました。日本について、ほとんど情報が入ってこない、もっと日本について情報発信をしなければいけないのではと感じました。双方の異文化理解を発展、拡大する必要性を感じました。もっともスウェデーンは1971年ですが結構日本の情報が入ってきました。私も海外で暮らし異文化に接することで教養の幅が広がりました。アメリカの大学の教育方法、アメリカの地方自治など、日本のそれと似て非なることが分かりました。また、それぞれの国で友人や彼らの家族に親切にしていただきました。アメリカもスウェーデンも自由な国です。旧ソ連は私にとり窮屈な国でした。駅や空港、鉄道からの景色、官庁建築などは写真撮影禁止。建築の学生としては写真を撮影したい対象ですが。言論の自由が制約されています。

特に港区長に就任し、港区は80も大使館がある地域であるので異文化交流、異文化理解について積極的に対応しました。港区の職員は、港区が国際都市ですが、外国人がいない他の地方都市の公務員と同じです。英語が話せるわけでもなく、また、海外情報を持っているわけでもありません。少しでも職員に海外の情報を提供し、異文化理解の助けにしようと尽力しました。しかし、元区長S氏、元政策経営部長N氏、口(くち)と性質(たち)の悪いベテラン議員などは異文化理解に全く関心がなく、知識教養もなく、もっと言えば、職員に異文化理解を説明する私の行動に対し「外国かぶれ」といったお決まりの攻撃フレーズ。自ら知識もなく、知識を持つ者に対する偏見、嫉妬ヤッカミ、イジメの世界でした。今の武井区長も表向き異文化理解と唱えていますが、本人は異文化について何もわかっていないのが残念です。

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