明治維新で欧米を訪問。多くを学んだ岩倉使節団。港区幹部も海外事情を学べ。

週刊文春の出口冶明の「日本史講義」3月26日号は明治維新後の「岩倉使節団はとてつもない壮挙」と思うと記載されていました。1871年から2年近くかけ米欧12か国を訪問、造船工場、銃器工場、造幣局、衣服製造工場、ビール醸造所、チョコレート工場など132の工場を視察したとのことです。随行した大久保、木戸、伊藤は薩英戦争、下関戦争でヨーロッパの強さを身にしみて、その背景にあるものを学びとりたかったのでしょう。米欧での見聞がその後の明治時代の近代化に大いに貢献しました。

私は建築、都市問題という分野ですが、1960年代後半、雑誌を通じ、日本には見られないデザイン、技術の建築や都市開発の記事を通じ、実際、アメリカやヨーロッパを訪問したと思いました。学生の一日のアルバイト代報酬が千円程度。大卒の初任給は2万円台という時代でした。ロサンジェルスまでの航空運賃は20万円以上。奨学金が支給されないと欧米に行けません。たまたま早稲田の交換留学の機会をいただきアメリカで1年、翌年スウェーデンで北欧のインテリアデザインの勉強、さらに、3度目の留学はアメリカ政府から全額給付のフルブライト奨学金をいただき、アメリカでアーバンデザインの勉強ができ、大いに新しい知識を吸収できました。アメリカの地方自治、議会制度、ディベートなども学びました。その後、自分の仕事に大いに役立ちました。

港区長時代も欧米で学んだ知識が大いに役立ちました。港区長時代、私を後継者に引っ張り出した元区長や政策経営部長などから留学の話をするなとお説教がありました。驚き、残念に思いました。明治時代の指導者よりも後ろ向きです。特に港区には80の大使館、区民の1割が外国人です。海外事情も知識として学ばなければなりません。現区長の武井さんも2人の副区長も海外に関する知識や学ぼうとする意識はありません。残念です。

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