1964年「ウィルスの狩人」という本が岩波から発刊されました。高校生でしたが興味を持ち買って読みました。700円。大卒初任給が2万円の時代ですから高額な本でした。現在も書棚にあります。新型ウィルス騒動で、改めて読みました。過去200年間のウィルス研究発展の歴史書です。その本の200ページのところに1957年蔓延したアジア型インフルエンザの発生、拡大の事実についてです。抄録の形で引用します。
1957年2月中国南西部貴州省でインフルエンザが発生し、避難民(当時共産中国から香港へ避難者が多くいました)が香港にウィルスがもたらした。香港でインフルエンザが発生、拡大。ニューヨークタイムズの特派員が報道。アメリカ陸軍医学センター研究部長ヒルマンが4月の記事を目にし「10%の発生率はただならぬこと」と察し、研究部長が日本の座間にある陸軍406医学研究所に「ウィルスを発見せよ」と打電(古い言葉です)指示。研究所員は直ちに香港に行き調査、ウィルスを獲得、アメリカに送付。ヒルマンは「A型の新しいウィルス株」と発表。5月22日ウィルスを受け取り直ちにワクチン製造に着手、8月12日ワクチン50万人分用意した。
6月アメリカの東部、ニューヨーク州に近いロードアイランド州ニューポート海軍基地で初の罹患者。その経緯として、一つはアジアからのゲートであったカリフォルニア州の一少女が中部のアイオワ州グリネル教会訓練所に持ち込んだ。もう一つはカリフォルニア州のボーイスカウトが東部のペンシルベニア州ヴァレイ・フォージのボーイスカウト大会に持ち込んだ。夏はインフルエンザの閑散期。インフルエンザは拡大しなかったがウィルスはばらまかれた。
冬、アジア型インフルエンザが発生、拡大。当時の「新型」ウィルス原因による死者数は1万人だった。1918年のインフルエンザの死者数の1/20だった。衛生局長バーニーは「ワクチンの速やかな生産と普及がインフルエンザ流行の発生を鈍らせた、何百万人がインフルエンザから救われた」との記述です。
ある種の的確な気づき、それに伴う緊急の対応。先手先手が有効立ったという結論です。今回の事態、歴史を学んでないなという印象です。