フルブライト留学目標で学生時代頑張ったこと。

フルブライト奨学金をいただきアメリカで最高の勉強をしようと学生時代(青春時代)の目標にしました。甲子園球児等と同じ気持ちです。大学院時代のことです。穂積教授の研究室に15人くらいの大学院生がいました。学生時代、燃えたこと。

(1)毎年建築学会に論文を寄稿し、大会で発表しました。5本書きました。穂積研究室の学生の中で学会に論文を寄稿したのは原田一人だけでした。

(2)建築学会の設計コンペに参加、二度受賞しました。デザイン専攻の学生は建築学会の設計コンペに参加することが義務付けられていました。設計課題に対し資料を調べ、データを集め、デザインの構想案を練り、それからA1サイズの図面を5枚作成し、さらに模型を作成し、写真撮影しプリントしたもをの図面に貼り付けます。設計競技ですから、通常の建築設計図と異なりプレゼンの要素としてきれいにレイアウトし、デザイン画として見せる工夫をしなければなりません。提出前の1週間は半徹夜が続きました。大学院生時代の2年間、早稲田大学から受賞したのは原田一人だけでした。指導教官以外に建築学会長であった吉阪教授、そして関東支部長だった安東教授等からお褒めと励ましのお言葉をいただきました。そうしたお言葉は学生にとり最高の栄誉でした。

(3)海外文献調査を毎月やりました。アメリカ、イギリス、ドイツの雑誌を中心に当時の海外の最新の動向を調べました。アメリカの雑誌はArchitecture Records, Progressive Architecture, Architectural Forum、イギリスの雑誌はArchitectural Review、ドイツの雑誌はBaunen + Wohnen。世界の建築デザインの動き、海外で活躍している建築家の名前を覚えました。

(4)英会話の実践。週2回朝英会話学校に通いました。また、授業の合間を縫ってLL教室(Language Laboratory)で英会話テープを聴いておりました。

小遣い稼ぎに西麻布に住んでいた中学生の家庭教師をしたり、雑誌社の図面の版下用のインキング図面作成などアルバイトをしました。このような日常ですから友人たちと麻雀やパチンコに明け暮れるような生活ではありません。東京高検検事長の黒川というバカ検事よりよっぽど生活態度がまともだったと言えます。あの程度の倫理観なら私でも東京高検検事長を勤められたかもしれません。

やっとフルブライト奨学金の試験合格にたどり着きました。前のブログで触れましたが、港区長時代、元港区長S氏や政策経営部長のNから留学の話をするな、フルブライト留学の話をするなとお説教の言葉が浴びせられましたが、青春時代、目標にしたこと、頑張ったことにイチャモンをつけられ、残念でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です