世界3大建築家の一人、ミースが1929年バルセロナ・パヴィリオンを設計した際、大きな衝撃を建築界に与えました。鉄とガラスの開放的なデザインです。ミースはドイツ生まれ、石工の父親の下で石造りの建築を学び、その後、当時、ドイツの指導的建築家のベーレンス事務所で仕事を得て建築設計の仕事をしました。兄弟子にはグロピウスがいました。グロピウスはその後バウハウス(建築・デザイン学校)を設立し、所謂近代建築のデザインやファッションなど様々なデザイン教育を指導しました。ナチ政権に追われ、アメリカに移住しハーヴァード大学で教鞭をとり、世界的に影響力を与えた方です。
ミースは若い時、伝統的な石造り、コンクリート造りの住宅など設計し、一定の評価をされました。ドイツ政府からバルセロナで開催されるドイツパヴィリオンの設計依頼がありました。これまで石造り、コンクリート造りの閉鎖的な空間から、突然変異で、全く開放的な鉄とガラスの建築です。
私の建築の先生である菊竹清訓氏は、「ミースは日本の数寄屋造りなど柱と梁でできた開放的な日本の住宅に衝撃を受け、バルセロナ・パヴィリオンを設計したのでは」と語っていました。そこで私はいくつかの資料を調べ、菊竹先生の説は妥当と判断するに至りました。
ミースの兄弟子にあたるグロピウスの下に1922年日本の若手建築家石本喜久治が訪問、1923年同じく若手建築家堀口捨巳が訪問、1926年後年早稲田大学教授となる今井兼次が早稲田大学の指示で欧米を訪問した際グロピウスと面会しました。そうした機会に日本の建築家はグロピウスに日本の代表的な数寄屋建築や茶室建築等の写真や図面を見せたと考えられます。グロピウスはミースを含めた仲間に日本の伝統建築の写真や図面を見せたと考えられます。ミースは日本の数寄屋建築(石造りとは全く異なる細い柱と梁で構成された開放的な空間)に衝撃を受け、突然変異のごとく、従前と異なる鉄とガラスの開放的な建築をデザインしたと考えることは合理的と思います。こうした内容を後日英文の論文に仕上、発表したいと思っております。