学生時代の人生目標、フルブライト留学

1967年18歳、早稲田大学建築学科に入学しました。海外留学し、外国の建築を見たい、学びたい、海外で仕事したいという気持ちがありました。たまたま建築計画(デザイン)の教授穂積信夫氏と知遇を得ました。氏はフルブライト留学でハーヴァード大学大学院で学び、世界的な建築家サーリネン建築事務所で研さんを積み、帰国後早稲田大学教授に就任した経歴の方です。当時は今のように自由に海外に行ける時代でありません。大卒初任給が2万円台、ロサンジェルスまで飛行機代往復25万円以上でした。奨学金をいただかないと留学はできません。穂積先生を目標に、自分もフルブライト奨学金をいただきアメリカに留学しようと決意しました。

高校時代の友人が死蔵していたリンガフォンのレコードを借り、複製しました。毎日聞きました。FEN(米軍の放送)を頻繁に聞きました。Asahi Eveningを毎夕買い、朝日新聞の天声人語、社説と読み比べしました。専門の建築の勉強は当然ですが、英語を毎日必死で勉強しました。穂積教授からも英語を使った建築デザインの理論について個人レッスンを時々していただきました。運命のいたずらか、2年生の最終日、穂積先生から早稲田の交換留学試験を受けなさいと勧められ、受験(大変な緊張でした)、合格、1年間、姉妹校のオハイオ州The College of Woosterに3年生の夏から留学しました。(緊張の1年でした)4年生の時は技術研修留学でスウェーデンのカール・クリスティアンソン建築事務所で研修留学しました。オフィスデザイン、快適オフィスの実践、研究です。大学院に進学し穂積教授の下で研究を進めました。修士課程在学中、日本建築学会の設計競技に2度挑戦、幸い2度入選しました。(連日徹夜し図面を作成しました)また、修士課程の2年間に建築学会に3本の論文を提出、さらに、専門雑誌などに論文を寄稿しました。そうした成果を踏まえ、フルブライト奨学金試験に挑戦しました。大変な緊張感だったように記憶しております。緊張感はその後の社会経験に役に立ちました。幸い審査員一致で首席で推薦をいただきました。ハーヴァード大学、コロンビア大学、コーネル大学などの推薦をいただきましたが、かねてから考えていましたライス大学建築大学院に留学先を選びました。

フルブライト留学は私の青春そのものです。自分の汗と努力の結晶です。強い挑戦心持ち主の証です。ところが港区長時代、元区長や庶務担部長のN氏からフルブライト留学についてイチャモンをつけられました。人生様々あること、異文化を理解しようとしない姿勢には困りました。他人の人生否定です。ちょっとは英語を勉強してみたらと言いたくなりました。ヤッカミの類でしょうが。

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