森ビル元社長森稔氏、大きな夢と高い教養をもった方。

森ビルは港区内の不動産開発会社、世界的に有名な企業ですが、いわば地場産業です。森社長と最初にお目にかかったのは区長に就任する前の平成10年、森ビルが主催するアーク都市塾のワークショップ後の食事会の時でした。私は恩師のアーク都市塾講師菊竹清訓先生の助手という立場でした。テーブルに先に座っていると、森稔社長が現れ、私の隣が開いていたので私の隣に座りました。私は挨拶をし、オフィスのインテリア(私は1971年スウェーデンでオフィスインテリアの研究をしましたので)執務空間の快適性の話題、欧米の都市開発の話題(私は20代の時から欧米の都市開発事例を見ています、また理論的な研究もしました)をネタにし、森社長と会話をし、話が盛り上がりました。また、当時、私は港区の都市計画審議会委員や超高層問題研究会会長を務めておりましたので、そうした話題についても意見交換をし、話が盛り上がりました。

平成12年6月区長に就任し、時々お目にかかる機会がありました。私の立場からするとウマが合いました。私は欧米で勉強したので、社交は欧米流好みです。つまり、夫婦同伴、家族同伴です。欧米の社交では日本のような料亭やナイトクラブでの接待でなく、自宅でのホームパーティなど家族ぐるみが主体です。また、大使や大臣、CIA長官人事承認の連邦議会聴聞会でも本人以外に両脇に妻や子供を陪席させ、国会議員やマスコミに家族の姿を見せるのが慣例です。森稔社長との交流の際は夫婦同士で、ある時は森社長のお子さんも(立派な社会人ですが)同席し意見交換をしました。奥さまは英語を流暢にお話になり、私の妻は若い時同時通訳をしておりましたので英語を話し、特に大使など外国人と一緒の交流会では英語で会話し、文化、芸術、建築、都市開発などをテーマに意見交換をしました。大手の不動産会社と異なり、地べたを這うように長時間かけ権利者を説得し、再開発事業を実現する忍耐力には敬服です。六本木ヒルズでは最も高い賃料を稼ぐことができる最上階に美術館を配置したのは森社長の文化、芸術に対する高い見識の結果と思います。森社長は高い教養と大きな夢と理想を持った方でした。

私のアメリカでの指導教官は当時ハーヴァード大学大学院長のピーター・ロウ氏、修士号審査教授はMIT大学院長のアデール・サントス女史です。例えて言うと、東大の教授たちが教えを乞いたいと研究員などの肩書で研究留学する相手ですので、森稔社長も私の都市開発、建築デザインの知識の対してはある種の信頼感を持って下さったことと思います。また、私は森社長に対し政治資金パーティ券を押し売りするわけでもなく、付き合いやすい人物と思ってくださったと思います。 今後の森ビルの事業展開に期待しております。

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