フルブライト留学生試験合格のための大作戦

1974年念願叶いフルブライト留学生としてヒューストンにあるライス大学建築大学院に留学しました。振り返りますと大作戦が見事実現したといえます。何かの試験に挑戦する後輩にお奨めの作戦です。さらには様々な挑戦に活用できます。

1ドル360円、日本の大卒初任給が4万円の時代、アメリカに行くだけでも、航空運賃は手が届かない額でした。大学の学費も日本の大学学費の数倍で一般の日本人の経済力では支払える額ではありません。奨学金、できればフルブライト奨学金をいただきアメリカに留学したいと18歳早稲田大学に入学した時から、私にとり大きな夢、不可能と思われる夢を抱きました。試験でとにかくある集団の中で一番にならないといけない、自分には特別な能力がないと自覚しており、ただ、ひたすら努力を重ねるしかないと思いました。

私が考えた大作戦です。審査員に評価いただくためには何か特別な実績が必要と思いました。予行演習的な留学、自分の専門の建築学会に論文を寄稿したり、できれば何かの賞をいただければ立派な評価材料にもなると考えました。①留学の実績です。1969年早稲田大学の交換留学の試験に合格、アメリカに1年間留学することになりました。また、1971年スウェーデンに技術研修留学することになりました。2度の(予行演習的な)留学は実績として審査員に相当アッピールできると思いました。それぞれの留学先の指導者から好意的なフルブライト受験に際しての推薦状をいただきました。②論文の実績です。早稲田大学大学院在学中、指導教官穂積教授の助言で日本建築学会に論文を3度提出しました。内容の良しあしは別として審査員へのアッピール材料になりました。③受賞実績。②と同様指導教官の助言で、日本建築学会の設計競技に参加、修士1年生、修士2年生の時、それぞれ受賞しました。早稲田大学の建築学科のデザイン専攻の学生はデザイン競技への参加は必須でしたが、早稲田大学では私だけが入賞、しかも、2年連続入賞しました。偶然はその時の学会の関東支部長は早稲田の安東教授、学会長も早稲田の吉阪教授。お二人の署名のある賞状を頂き名誉でした。お二人の教授からのお褒めの言葉をいただきました。④フルブライト受験の前にすでにライス大学建築大学院の学科長から入学合格の通知をいただいておりました。ライス大学建築大学院に留学したいと私の経歴、実績を同封し郵送したらあなたを受け入れますと返事をいただきました。日本の大学と異なり、手続きが弾力的なのは驚きですし、日本の大学もいずれ参考にしなければなりません。大勢の受験者の中で、大学院の合格通知をもらっている志願者は私以外におそらくいないと思います。また、多くの受験者は留学先の希望として所謂著名大学の名を挙げたと思います。私は様々な理由を挙げ、ライス大学の希望をアッピールしました。

上記の①、②、③、④の実績をアッピールし、後日、無事、見事、首席で合格通知をいただきました。その中には、フルブライト委員会としてハーヴァード大学、コロンビア大学、k-ネル大学の3大学の推薦リストが記載されていました。が、初志貫徹でライス大学にしました。後で漏れ伝わった審査評ですが、5人の審査員全員一致の結果だったようです。

結果論ですが、大作戦が当たりました。作戦を立て、6年かけ私の夢を実現しました。私にとり4年間毎日12時間の訓練を続け、オリンピックでメダルを取ったような心境です。大きな夢を持ち、ひたすら頑張り、夢を実現することは大切です。若い方に大きな夢を持っていただきたいと念じております。一方で人の夢にケチをつける嫌がらせには断固反発。夢を描けない、夢を持てない不幸な輩がいます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です