18歳早稲田大学建築学科に入学した際、穂積教授と出会いました。氏はフルブライト奨学金でハーヴァード大学大学院に留学した経歴の方です。この先生を自分の目標像にしようと考えました。穂積先生には卒論、卒業設計、修士論文、3度の留学指導、デザインの指導、仲人など様々な場面でご指導、お世話になりました。穂積先生の言葉はすべて吸収、実践しようと心がけました。その中の1つ「アイデアを思いついたら書け、そして書き続けろ」でした。実践しました。また、次お世話になったのは世界から高い評価をされている建築家の菊竹清訓先生。同様のことを言われました。また、博士論文を書きなさいと助言されました。さらに、山東良文氏、旧建設省総務審議官、国土庁の大都市圏整備局長等歴任した方にも個人的にお世話になりましたが、山東氏も思いついたら書く、また、自らデータを集め自らの分析で意見を言え、若いうちに博士号を取りなさい、と助言されました。オリジナルデータで戦えということです。
どこまでできるか、できたかわかりませんが、自分なりに頑張ったつもりです。コラムから学会論文、2万字の長論文まで含めこれまで500本程度書いたと思います。一例ですが、何か議論の際、30年前に書いた拙論に基づくとなど、堂堂と議論にかつ容易に参加できます。40歳の頃、朝日新聞幹部から依頼され、経済気象台のコラムを2年間担当させていただきました。これは、結果的に10年後の港区長時代の政策の荒筋じとなりました。港区長時代、様々な原稿依頼がありました。自ら書きました。すると、一部の議員から(原田の反対勢力ですが)原田は原稿ばかり書いているなど、訳の分からぬ批判が議会でありました。文章を書けない、作文能力のない議員からのヤッカミ、嫉妬による悪口の類でした。何も書いていないから発言は空虚です。その程度の議員が少なからずいるということです。文書の書けない、だから政策も作れないのです。