留学貧乏実話

1969年、早稲田大学3年生、20歳の時アメリカに交換留学しました。今思いますと、貧乏生活したなという思い出です。交換レート1ドル360円。日本の大卒の初任給は3万円以下、アメリカでは初任給500ドル以上(18万円)大変な日米経済格差の時代でした。

大学が始まる前、ニューヨーク市に数日滞在した時。市バスは25セント(90円)、当時の都バスは20円。今都バスが200円ですからニューヨーク市バスは900円という感覚。市バスの料金は高すぎでニューヨーク市内を建築の見学のため数キロを歩き続けました。9月初旬で暑い日が続きましたが、自動販売機のジュースは高額(10セント:36円、今の感覚で360円)で買えず、公園内の水飲み場でのどの渇きをしのぎました。

服装は学生服の黒いズボンを1年間はき続けました。ワイシャツは適時洗濯しましたが、2枚を交代交代に着ました。靴はアメリカでお世話になった友人のお古のボロ靴を1年間はき続けました。散髪代は高そうなのでインドからの留学生(ラジュ・アルワ:今でも名前を覚えています)に相談したら、自分でハサミを持っているとのことで散髪を時々無料でしてもらいました。

アメリカ国内の移動は21歳までは飛行機半額で乗れる優待割引制度を活用しました。時刻表を見て、食事がサービスされる時間帯の飛行機に乗り、食事代を節約しました。可能な限り友人宅でホームステイさせてもらいましたが、友人がいない場所では安ホテルに宿泊。ベッドだけの部屋で、冷房なし。シャワー、トイレは共用。しかも、ある安ホテルではトイレの扉が全部壊れている(ない)のにさすがショックを受けました。そのホテルは1泊3ドル50セントでした。日本円で1150円。当時は日本で学生アルバイトの一日分です。今の感覚で8千円くらいでしょうか。日本の学生には高額でした。食事はマクドナルドでハンバーガーとコーラ。25セント。90円。感覚的には900円相当。それが貧乏日本人学生にとり最高の食事でした。今では楽しい思い出です。今では、お世話になったお返しの気持ちで、時々、海外からの留学生にお食事を提供して差し上げます。

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