20歳の時、早稲田大学の交換留学生としてアメリカ、オハイオ州のThe Collge of Woosterに留学しました。英語でLiberal Arts大学、所謂、一般教養大学です。1000人強の全寮制、宗教面でアメリカで主流派の長老派教会(Presibyterian)の大学。一般教養大学ですから建築学科はありません。建築や医学、法律、ビジネスなどは、アメリカでは大学院で学びます。夏休みに友人宅にホームステイさせていただきました。友人宅で特にお母さんから親切を受けました。今流の「おもてなし」です。24年前までは父親同士が戦争していたのです。その戦争の敵方の国の子供に対してこのような親切。国民レベルでは理解してもリーダのメンツ、怒りで戦争が勃発。リーダーの資質が大切と感じました。私が日本からの建築学科の学生ということで、滞在先で友人のお母さんが地域の有名な建築物にご案内してくれました。
オクラホマ州のタルサ市でお世話になったデイヴィッド・ドルマン君のお母さんが「近所にフランク・ロイド・ライトが設計した住宅がある、そこに住んでいる方が建築家だから、電話して、見学できるように話をしてみる」と言ってくださり、見学をさせていただきました。また、タルサ市から車で1時間くらいのところにバートレスヴィル市にフランク・ロイド・ライトが設計したプライスタワーがあり、わざわざお母さんが車で連れて行ってくださいました。お母さん曰く「戦争中は男性が戦場に駆り出されていたので市電の運転手をしていた」と言いていました。
テキサス州ヒューストンでお世話になったべス・グランクィストさん。お母さんが少しでもヒューストンの建築をケイミに見せてあげようと連日あちらこちらに案内してくださいました。アストロドーム、世界初のドーム球場も見学しました。空間の巨大さ、アメリカの建築の凄さに驚きました。また、お母さんはいくつかの設計事務所に電話をし「日本から建築学科の学生が来ているので設計事務所を見学させてやってほしい」と掛け合ってくれました。私が頼んだわけでありませんが。ヒューストンでも大手の設計事務所に見学できることになり、その事務所を訪問しました。台湾出身の建築家が事務所内を案内してくれました。74年再度ヒューストンに留学した際、その事務所を訪問したら件の台湾人の建築家は役員に出世していました。一日14時間も働き(本人から聞きました)、権利義務のうるさいアメリカ社会ですが、仕事に対する猛烈ぶりに周囲が高く評価したのでしょう。
以上は多くのいただいたおもてなしの中のわずかな事例です。敵国側の子供に対し親切にしていただいた経験は忘れることができません。恩返しをしなければという気持ちでおります。一方、港区長時代、こうした貴重な体験談を話すと、必ず、一部から「原田はアメリカかぶれの奴」と表に裏に陰口。そうしたおもてなしや異文化交流を理解できない議員や幹部がいたのは残念でした。異文化理解と公式には港区は表明していますが、それは表の話です。