区長秘話87、原田敬美の政局?

港区長時代、自分で言うのもおこがましいですが、政策立案、遂行の仕事に真面目に取り組みました。日本初、東京初という政策もいくつか実施しました。それぞれの政党の立場、議員の立場から様々な意見はありましたが、大きな批判、政局はありませんでした。その中で変わった指摘(政局)がありました。実にバカバカしいむなしい内容でした。

一つ目は原稿執筆についての批判。保守系政党のK氏(後年都議に転出)と独立系会派のK氏。私は22歳で原稿を書き始め、30代から40代で毎日新聞の論説2本、讀賣新聞の論説1本、朝日新聞の論説2本書きました。39歳の時、朝日新聞の部長から依頼され経済欄コラムを2年間執筆しました。学会の審査付き学術論文も区長就任前に3本書きました。(大学研究者でありませんのでかなりの件数と言えます)神戸市が発行している研究誌「都市政策」に30歳の時依頼され専門論文を寄稿しました。その他専門誌に依頼され多くの記事を書いてきました。

区長に就任してからも多くの方から執筆依頼がありました。議会で両氏は「原田区長は原稿ばかり書いている」と批判の発言。原稿執筆に慣れていること、書くべきネタを相当数持っていることからの依頼であり、政策を考えることに効果的であり、港区政をPRする良い機会です。また、私の得意技でもあります。両氏は嫉妬ヤッカミの類、原田の得意技を封じようとする狙いがあったのでしょう。保守政党のK氏は当時区長選に出馬しようとして、私が出馬することで出馬を断念させられました。私に恨みを抱いていました。独立系のK氏も区長選の際別候補を擁立、支援。恨み、つらみがあるのでしょう。保守系政党のK氏は都議に転出後、それこそ原稿を多く執筆する石原知事を批判したと聞きません。

もう一つは、公用車の降り方に対する政局的批判の発言でした。独立系のY氏はたまたま私が区役所前で車を降りる姿を見ていました。私は運転手に扉を開けてもらうようにしていました。車の扉を不用意に開け、後ろから走ってくる自転車がぶつかったりの恐れがあります。セキュリティ上の理由もあります。(ある時庁議室にある方が乱入した事件がありました)自分で頭を後方に振り向くと首の筋を痛める恐れがあります。Y氏の発言は「運転手に扉を開けさせるのは生意気だ。自分で扉を開けろ。」でした。私はマナー、言葉づかいは丁寧に努め、おそらく他の区市長と比較しても、高い評価を頂けると自負していました。このような批判の発言をいただき、この程度の議論を本会議でやることのむなしさを感じました。

さらに、公文書で「白金高輪駅」を「高輪白金駅」と誤記したことで上記の保守政党のK氏が「区長の不祥事」と議会本会議で発言しました。別の保守系政党議員は「不祥事というのは警察に逮捕されるような事件のことだから、言い過ぎ」と同情のささやきがありました。そもそも担当職員がワープロで文書作成、係長、課長、部長と決済が上がり、さらに事前にその文書で区議会に説明、その誤記をだれも気づきませんでした。そういう点で多くの方に責任があります。しかし、保守系政党のK氏の騒ぎを鎮めるため、区長の給与を1か月10%減俸処分を自ら課すということで問題処理、責任を果たしました。

 

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