港区長秘話85、武井候補が生まれた経緯

平成12年6月28日港区長に就任しました。3年経過した平成15年の夏頃から来年の6月に向け様々検討しないといけないとの思いが頭をよぎるようになりました。平成15年の夏、当時の都議会議員(自民党)から面会要請の電話がありました。相手の希望で区役所近くのホテル、レストランの個室で面会しました。いきなり「原田さんが来年、出馬しないと聞いたが?」と質問。私は「それは事実と異なる」と回答しました。時期的にそれ以上のことは発言できません。また、友人の某大学教授から自宅に電話で「来年出馬しないと聞いたが」との照会でした。「事実と異なる」と同じ回答をしました。誰かが謀略的に情報を流していると感じました。このような情報を流せる人物は限られています。

また、港区長の応援団組織として「同交会」という組織がありますが、元区長S氏がそこで「適当な候補はいないか」と発言したと耳に入りました。会の責任者は「原田さんが真面目に仕事しているのに何ですか」と反論したとも耳に入りました。これまで港区長秘話で書いたように、私は官製談合を破壊、一部議員(多くは真面目な議員です)や、一部問題職員(ほとんどの職員は真面目に仕事しています)の問題行動をチェックしたり、日本初、東京初の施策を具体化、積極的に活動し(夜の宴会活動は無し)、これまで残された課題(芝公園の土地問題、行財政改革など)をスピーディに解決したことなどに、私を引っ張り出した元区長S氏はある種の危機意識、違和感、ヤッカミを感じたと思いました。私の見立てですが、S氏にとり私はいわゆる「帰国子女」のような存在だったのでしょう。

秋頃、元区長S氏が某職員に「区長選に出ないか」と口説き「その職員は体調を理由に断った」との情報が耳に入りました。さらにS氏は管理職、武井さんにも「出馬しないか」と声をかけました。本来武井さんは「原田区長の下で仕事をしている身ですから、全力で原田区政に幹部職員として励みます。夢夢そのようなことは考えません」と発言するのが幹部職員としての正解です。ところが武井さんは「原田さんが辞めるなら出馬してもよい」と回答したと耳に入りました。幹部職員として問題発言です。 さらに、他の有力者も候補者探しを始めたと耳にしました。政策経営部長Nは都外の住まいから港区に転居しました。元区長S氏から後継指名を期待しての動きでしょう。(区長候補は港区に住んでいることが望ましいです)

武井さんは総務畑が長く、現場に詳しくありません。官製談合について知識や改善策を持っていません。建築の積算のことも分りません。おとなしい性格で敵を作らずです。元区長S氏にとり好都合だったと思います。武井さんは出馬の際新聞記者から出馬の理由を聞かれ「原田さんが突然辞めたから」と発言。これは事実と異なります。武井さんにとり自らの立場を正当化したかったのでしょう。本来「原田さんは異分野から招かれ、大変だったと思いますが、区長として財政再建、行政改革を成し遂げ、日本初、東京都初の施策を具体化しました。今後は学究の道を歩みたいとのことです」とでも退任してゆく区長に対し、発言すべきでしょう。

立場立場での適切な発言が大切です。私にとりこうした謀略的な動きはバカバカしい限りです。正々堂々語ればよいのです。議論し、ある方向に結論を見出すのが民主主義の方法です。

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