テキサス教会乱射事件、日本と文化、法律制度の違い、

先日、テキサス、サンアントニオ近くの教会で乱射事件がありました。アメリカは報道の自由があり、アメリカから多くのニュースが流れ、アメリカに対して日本のマスコミは何を言っても報復されないので、言いたい放題の報道、コメントがあります。中国、ロシア、北朝鮮での事件、事故ならそのような遠慮がちの報道姿勢になると思います。これが日本のマスコミの狡さと思います。それはさておき、日本の文化と法制度の違いを改めて感じました。

日本では事件があると警察が登場、警察だけが捜査に従事します。一般人は遠ざかり、関係をしてはいけません。今回の報道で、容疑者を追跡したのは一般市民です。容疑者に発砲し、事件は収束。容疑者を追跡した人物は報道によるとヒーロー扱いでした。事件の広報ですが、アメリカは自治体警察、市民の知る権利を優先しますから、市長と警察部長が必ず記者会見をし、ノー原稿で事件の説明をします。学生時代からディベートで鍛えられているので、ノー原稿で市長も警察部長、あるいは、現場の警察官もその場で現状をマスコミのマイクで語り説明します。日本と異なります。日本の警察は勝手にしゃべってはいけないと教育されています。

アメリカでは(多くの国でそうですが)武器を比較的自由に購入できますし、ボランティアで警察の協力者になります。今回も市民ボランティアが武装し容疑者を追跡しました。アメリカでは市民の義務です。1974年から1976年、テキサス州ヒューストン(人口200万人全米第四の都市)に留学中、面白い事件報道を見ました。ショッピングセンターで泥棒を取り押さえようとした私服の警察官が一人で格闘している時、通りすがりの高校生に容疑者逮捕の協力要請をしました。その高校生は協力要請を無視しました。すると、泥棒を捕まえた後、警察官は犯人逮捕に協力しなかった罪でその高校生を逮捕しました。日本ではあり得ない法体系です。文化の違い、法体系の違い、そこから異文化の理解、さらに、国防の考え方などが理解できます。国会での空虚な防衛議論でなく、こうした文化の違いも理解する必要があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です