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大学卒業記録顔写真、学生服着用と強要

早稲田大学を卒業した1972年(本当の学年は1971年、1年交換留学したので卒業年は1972年)、建築学科の女性事務員(Oさん、女帝然とした方)が「卒業記録写真は学生服着用」と強要しました。私はアメリカとスウェーデンで学び、学生たちが自由な服装を謳歌したことに影響を受けました。また、建築デザインを学ぶ立場からも、ファッションは個性(といっても常識の範囲で)が大切と思っておりました。今なら「学生服着用の根拠は何ですか?」と質問したでしょう。個性を圧殺する大学?あるいは大学職員の強要は今思うと、許し難いことです。社会問題が起きると、大学教授は偉そうにテレビ、新聞で偉そうにコメントします。服装の強要について早稲田の教授はどのような見解をお持ちか?

「令和」の名付け親とされる文学者中西進氏が読売新聞の時代の証言者で「戦争中中学校(現高校)、男性はゲートル巻の作業服を着ていたのに、美術の先生は背広に蝶ネクタイで、格好良かった」という趣旨のことが書かれていました。建築家では、戦争中、白いスーツを着て街を歩き、警察官から職務質問、スーツを着ていることに対しお説教を受けた際「自分は建築家である。個性が大切」と警察官をお説教したと聞いたことがあります。個性に配慮せず、一同一律にある方向に強要するのはまずいこと。軍国主義、全体主義教育を戦後25年経過しても早稲田大学あるいはその職員は、やっていました。個性豊かな人材が育つはずがありません。

教えること、学ぶこと

昭和31年ピアノの発表会のプログラムが見つかりました。小学校2年の時です。私がバイエル69番を演奏と書かれています。貧しい家庭でしたが、母親が音楽の教養を身につけろという方針でした。
その後、お茶、生花、柔道、(こうした知識は留学時、友達作りに役立ちました)、剣道、モータースポーツ(大型2輪)、マリンスポーツ(小型船舶免許)、留学のための英会話等学びました。現在も学びを続けています。幸いすばらしい指導者と出会い、能力もセンスもない私をうまく指導していただきました。
専門の建築、都市計画、インテリアは、すばらしい世界的な指導者の下、ハードなトレーニングを受けました。
自ら学ぶ側でいると、浅学菲才でも、自分が年の功で教える側に立つ時に、どのように指導したら、学び手にとりより学びやすいか、ある程度分ります。
時々指導者の不祥事のニュースに接します。暴力、暴言、時には死、指導対象者の異性を愛人にするなどの内容です。指導者として不適切です。そうした方は、真面目に学んだことがない方か、真剣に教育を受ける機会がなかった不幸な方がたまたま指導者になってしまったとも思います。
指導者の責任は重大です。常に、学ぶ側にも軸足をおいておくと、自分の教え方が内省できると思います。

大阪市立高校体罰問題

平成25年1月大阪市立高校で、運動部のキャプテンが監督の体罰が原因で自殺しました。鍛錬と管理の観点からコメントします。
まず鍛錬についてです。体罰は厳禁です。指導は客観的なデータを基になされるべきです。どのような目標を立て、鍛錬するか、明確なヴィジョンを作り、生徒に示し、納得させ、参加させるべきです。
生徒が、わけわからずぶんなぐられたら、わけわからず、スポーツ人生が終わるだけです。
私は、学生時代、海外留学したく、英語を必死に勉強しました。1964年東京オリンピックの前レスリングチームが八田監督の下、畳の上で寝ないで頑張ったと聞き、英会話の授業の前の日は、布団に寝ないで、板の間の上で寝て、痛さで目が覚め、また予習をするというスパルタ英語教育を自らに課しました。特に冬は暖房もつけず、板の間の痛さと寒さで早朝目が覚め、予習を必死でやりました。
極論すれば、自らに厳しさを課さず、生徒に厳しさを課し、気に入らなければぶんなぐるという姿勢は指導者失格です。
教育界全体の課題として、指導者育成教室を設置し、指導者は指導方法論を学ぶ必要があります。
次に、管理責任についてです。橋下市長は市立高校の諸問題の最高責任者です。どこかのタイミングで、市立施設という自らの管理下での事件について、亡くなった生徒、遺族、高校関係者、市民に詫びる必要があります。「バカ役人が」と他人の責任転嫁すべきでありません。石原前東京都知事にも同じ傾向がありました。問題が生じると局長を叱り、終結させるパターンです。
さらに、当時の校長や副校長の責任も同じです。問題があればそれを指摘するのが管理職です。
市長、校長は管理責任を自ら明確にし、謝罪すべきです。校長は退職金を遺族に弔慰金として寄贈するぐらいの償いをしないといけません。
区長時代、区役所内で生じた問題に対し、全てについて議会、区民の前で誠心誠意謝罪しました。
それが管理者の取るべき態度です。