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「地方債月報」2002年5月号 p1〜2

巻頭随想
1975年ニューヨーク市財政危機からの教訓
港区長 原田 敬美


 私事で恐縮ですが1969年1年間交換留学生としてアメリカの大学で学ぶ機会を得ました。帰国の際、夏休みを利用しアメリカの主要都市と大学院を訪れ、次に留学するとしたらどこの都市がよいか見て回り、結論としてニューヨーク市は危険な街になりそうだ、ヒューストン市は都市開発が進んでこれから面白そうだとの感触を得ました。ニューヨーク市にあった多くの有名企業がヒューストン市に本社を移転しました。ヒューストン市の人口は当時140万人で全米で第6位でした。しばらくしてクリーブランドを抜き5位となり、さらにデトロイトを抜き4位にならんとする勢いでした。東部、中西部の工業都市は衰退期に入りました。建築計画を専攻した私にとり、ヒューストン市は、宇宙工学、電子、石油産業など中心に成長し、魅力ある都市と映りました。ニューヨークタイムズ編集委員ハクスタブル女史をして「ヒューストンのみ未来がある」と言わしめた発展ぶりでした。1974年交換留学生として改めてヒューストン市にあるライス大学で学ぶことになりました。判断は当たりました。
 1975年初夏「起債償還支払不能、ニューヨーク市破産寸前」という衝撃的なニュースが報道されました。アメリカのみならず世界経済の拠点であるニューヨーク市が破産するとは想像できないことでした。
 1960年代アメリカ経済の中心地という魅力故、様々な機会を求めて、ニューヨーク市に全米から、また準州であるプエルトリコから、さらには途上国から不法入国者が多数入ってきました。十分な教育や職業訓練も受けておらず、英語も話せない移住者たちのある部分は志半ばにして犯罪の道に入り、犯罪が増加しました。一方、裕福な納税者層は安全を求めニューヨーク市から逃げ出し、周辺の郊外都市へ移住しました。この間ニューヨーク市の人口は約800万人と一定でしたが、生活保護世帯が100万人を占めるようになり、福祉費は膨大な額となりました。企業は景気のよいヒューストンなどへ本社を移転し、大企業の移転に伴い雇用数が減少し、失業者が増えました。殺人事件は1日5件もありました。先日ニューヨークタイムズが40年ぶりで2月の殺人事件が32件に減ったと報道していましたが、安全確保は時間とエネルギーを要することを知らされました。犯罪、福祉、教育対策などさまざまな大都市需要が増加しました。当時ニューヨークの地下鉄はグラフィティと称するいたずら書きとバンダリズムと称する公共施設に対する破壊行為と放置で、ニューヨーク市全体がスラムと化しました。行き交う市民は殺気立ち、友人はアパートの扉に鍵を4箇所付けたり、郵便ボストは荒らされるとのことで郵便局の私書箱を利用していました。
 支出増を補うため増税と無計画な起債発行が続きました。アメリカの地方自治体は原則全て自前の税金や起債で財政運営をします。消費税、固定資産税などが自治体の主な収入源で、固有の自治体運営のために国や州政府からの補助金はありません。消費税増税で、消費税の安い隣接の市で買い物が増え、ニューヨーク市の消費税収入は減りました。固定資産税増税で家賃が上がり、中堅層の入居者も転出し、空家になり、そこに不法占有者が住み着きスラムとなるという悪循環となりました。
 様々な都市需要や住民からの要求に無理に応えようと減少する税収に対し支出が急増し、起債発行という借金に安易に依存する財政体質になりました。当時起債額は税収と同額程度でしたから大変な額です。収支バランスが崩れ、その問題が1975年にいよいよ表面化しました。アメリカでは公債は市民を相手に自由に売買されますが、ニューヨーク市債は金融市場で相手にされなくなりました。
 ニューヨーク市財政再建のためMAC(Municipal Assistance Corporation 市政支援公社)が連邦、州政府の下で設立され、ニューヨーク市は当分の間禁治産者扱いとなりました。90年代になり経済も復興し、少しずつ治安も改善されてきました。
 当時のマスコミの論説は「サービス過剰がメガシティニューヨーク市を滅ぼした。本来連邦政府がすべき大都市政策にまで大金をつぎ込んだ。市長の人気取り政策が仇となった。」とありました。その例として、市立大学や市立病院の数の多さが指摘されました。市立大学は授業料が無料で誰でも学べ、26万人以上の学生が在籍していました。1970年頃アメリカ私立大学の年間授業料は2000ドル(1ドル360円で72万円)でしたので、円換算で約1900億円で、授業料収入ゼロですから大変な額の支出です。
 さて、港区は大都市東京の中心に位置し、規模の違いはあれニューヨーク市同様、様々な大都市需要への対応を迫られてきました。世界や国内の景気動向の影響をもろに受けます。港区ではバブル崩壊後一気に歳入が減り、起債残高が増加し平成4年度300億円だったものが平成9年度には600億円、一方貴金は700億円から300億円に減少、平成10年度交際費比率10.8%となり、過去最高の比率となるといったように、財政状況が激変、悪化しました。その後財政再建策に取組み、その一つとして計画的区債発行の考えを定め、基準を特別区税収入の3%以内に抑制することとし、今日再建策の成果が表れてきました。財政は収支バランスを維持することが大原則ですが、一方、港区は次から次へと発生する大都市固有の課題に積極的に対応しなければなりませんし、また、日本の経済活動の拠点地区にふさわしい環境整序という戦略的な政策を推進する必要があります。急激かつ大規模な景気変動に対応するためのバッファー機能が国や東京都に期待されます。将来的には地方債が広く区民に支援され、また、地方債の金利が自治体の第三者評価にもなるという考えも必要です。


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