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バイデン大統領のインフラ政策・教育政策、コミュニティカレッジ

バイデン大統領が積極的な経済政策を打ち出しました。インフラ整備に230兆円(1ドル100円として)、家庭支援に180兆円です。インフラ整備では、一例として、2万マイルの高速道路の補修、1万の橋梁の補修、低家賃住宅供給のために20兆円です。教育政策では、高等教育が誰にでも無料で機会が与えられるよう、授業料無料のコミュニティカレッジ整備のため11兆円です。

コミュニティカレッジについて、私事ですが、相当論文を書きました。一例です。「米国のコミュニティカレッジと日本での展望」、1981年3月、月刊地方自治、「コミュニティカレッジと日本の課題」、1981年4月、都市政策(神戸市役所刊)、その他、毎日新聞の論説記事などに寄稿しました。

コミュニティカレッジはアメリカに1000ほどあります。地方自治体が設立、運営しています。公立の2年制の短大、職業専門学校とも言えます。教育内容は、職業訓練(多種多様な学科があります)、一般教養、生涯学習などです。就職、転職する際に役立ちます。また、いきなり4年制の大学に入学する自信がない、進路を決められないという方に対し、2年間の一般教育コースがあります。そこで様々な学習体験を経て進路を決めたり、4年制大学へ編入への道が開かれています。授業料は無料か低廉です。高額な授業料の4年制大学には経済的に入学できない貧困層の子供たちにはありがたい教育機会です。

私は、かつて、日本でも公立のコミュニティカレッジをと主張しましたが、私立短期大学や私立の専門学校とのマーケットとの関係もあり、設立は難しいと感じました。しかし、現在、多様な教育機会、転職、生涯学習などのニーズを考えると、アメリカのコミュニティカレッジのような学習機関の必要性が高まっていると思います。

ミネソタ州ミネアポリス市。警察官による黒人容疑者殺害事件の裁判、世界中にテレビ中継

昨年5月、ミネソタ州ミネアポリス市で偽札を使ったとして店員から通報があり、ミネアポリス市警察の警察官(ミネアポリス市職員)が駆けつけ、容疑者フロイドを拘束する中で、警察官が容疑者の首を9分間足で押さえつけ窒息死させたというのが事件の概要です。その後、黒人の命を守れ、人権を守れ、警察改革をと全米に運動が広がりました。当該警察官、ショーヴィンは殺人罪で逮捕されました。

2021年3月29日から裁判が始まりました。アメリカでは裁判は生中継です。日本では冒頭の写真撮影のみ許可されます。3週間にわたり、検察と弁護士の証人尋問があり、全米、世界中に放送されました。私も一部をCNNで視聴しました。50年以上前、アメリカのテレビ映画でペリー・メイスンという法廷劇を見ましたが、再度、法廷劇のリアル版を見ました。検事も弁護士もパーフォーマンスたっぷりでした。

陪審員は12名。バランスよく選ばれました。性別では男性5人、女性7人。人種では黒人4人、白人6人(北部のミネソタ州は白人が多い州です)、その他の人種2人。年齢層は20代から60代。居住地は都心と郊外、と多様性に配慮しています。

私がCNNを視聴したのは深夜11時から12時過ぎまでで、一部ですが、証人の証言を視聴しました。非番の女性消防士(ミネアポリス市職員、救命救急士)は「たまたま現場を通りかかり、状況を見て危ないと思ったが何もできず、今ではトラウマで悩まされている。」と涙ながらに証言しました。18歳の女性「フロイド氏の叫びにとりつかれ、トラウマで眠れない夜が続き、何もできなかったことに対しフロイド氏に申し訳ない。」と涙ながらに証言しました。警察官はボディカメラを付けていますので、現場の状況がすべて録画され、法定に証拠として提出されました。

最終日、裁判官は評決にあたり配慮すべき内容を陪審員に説明しました。陪審員は、起訴内容すべてを有罪と判断しました。直後、ショーヴィンは、シェリフ(郡の保安官:市警察職員でありません)に手錠を掛けられ、退出しました。

昨年5月の事件後、ミネアポリス市警察局長は辞任、その後任にパトロール警官出身で黒人警察官が警察局長に就任しました。ミネアポリス市役所は遺族に27億円(1ドル100円として)支払いました。

コメントです。1 裁判は全米で関心が高く、毎日、CNNが中継しました。裁判が公正に行われている様子が分かります。日本もいずれテレビ中継すべきです。2 陪審員の選択はバランスを考慮し選ばれたことが分かります。3 警察官はミネアポリス市の職員で、市長が最高司令官ですから、市長は政治責任を強く感じ、警察改革、警察官の教育改善に取り組み始めました。4 警察官に付けているボディカメラの画像が全て証拠して裁判に提出されました。日本の裁判では、検察の判断で意図的に証拠が開示されないことがあるようです。厚生省の課長(その後事務次官)だった村木さんが、検事の証拠捏造で冤罪で逮捕、長期勾留された際、検察は証拠を開示せず、裁判が始まり、村木さんが冷静に、丁寧に証拠を調べ、検事が捏造したことを明らかにしました。話変わりますが、その時の大罪を犯した検事は今頃どうしているのでしょうか。幼稚園児であるまいし公の場に出て謝罪をすべきです。 5 慰謝料が27億円で日本では考えられない額です。 6 日本でも2007年、佐賀県警で知的障がい者が職務質問で取り押さえられ、圧死した事件がありました。殺人警官は無罪になりました。アメリカで黒人が警察官に殺されたという事件は、日本の大手メディアが喜んで大きく取り上げます。佐賀県警の事件、その顛末は、大手メディアで取り上げられていないようです。日本のメディアの偏向です。自身の体験です。多くの方が体験したと思いますが、車を運転中、交通検問で突然、警察官が車の前を立ちはだかります。心臓がドッキとします。街を歩いている時、警察官から呼び止められ、ドッキとします。まして知的障がい者ですから警察官に呼び止められびっくりしたのでしょう。警察官は不審者として押さえつけたのでしょう。本来、メディアが積極的に取り上げるべき事件です。警察も障がい者に配慮を勉強すべきです。

ストックホルム、1930年代の住宅。社会福祉政策の大転換

ブルムバーグ通信3月31日配信の記事の一部紹介です。1930年代スウェーデンの住宅事情はヨーロッパで最悪でした。スウェーデンは貧しい農業国で、多くの国民が祖国を捨て新天地アメリカを目指しました。出生率はヨーロッパで最低でした。適切な質の住宅がなかったことが原因でした。当時の住宅事情は、石と煉瓦で造られた自然光も十分でない安普請の賃貸住宅でした。子供を産もうとする動機がありませんでした。

こうした住宅問題に対し「豊かな子供の家」Barnrikehus(barn:子供、rike:豊、hus:家)という集合住宅が低所得者のため、中心市街地の外縁に建設されました。シンプルな近代建築の意匠です。この住宅建設がスウェーデンの社会民主主義の転換点になりました。

1934年、ノーベル文学賞のアルバ・ミュルダールと夫のグンナーは「人口問題の危機」を出版。著書で「無料の医療、児童福祉の充実、家事は有料」という提言をしました。この提言で家賃補助、手軽な住宅ローンの制定で住宅政策の改善につながりました。自治体は、土地所有者に対し低所得者のためより良い住宅を供給させる政策を展開しました。住戸面積は40㎡、奥行き12メートル以内で、風通しが良い板状集合住宅です。日当たり、風通しが良いので当時流行した結核感染の防止にもなりました。セントラルヒーティング、トイレ、温水設備、洗濯室も設置されました。働く母親のために保育園も併設されました。大変革です。出生率上昇のため、家賃は子供が多くなると低減されました。戦後、スウェーデン政府は低所得者のみならずすべての国民に適切な質の住宅供給をしました。

参考に、2003年と少し古いデータですが(たまたま手元にありました)、家族。子供向け公的支出の対GDP比率と合計特殊出生率で見ると正の相関があります。家族・子供向け公的支出の対GDP比率が3%から4%の国は、出生率は1.6%から2%です。スウェーデンは家族・子供向け公的支出の対GDPは3.5%、出生率1.7。日本は家族・子供向け公的支出の対GDP比0.75%、出生率1.3%です。

最近政府が「子ども庁」設立しようとしています。スウェーデンの100年間の住宅・社会政策は参考になります。しかし、懸念。日本の予算は、従来の既得権の積み重ねでがんじがらめになっています。この際、前例と決別し、子育てしやすい住宅政策含めた子供政策の予算を政治力で確保することを期待します。建築デザインの観点から、社会建築こそ意匠にエネルギーを注入すべきです。上記の「豊かな子供の家」のデザイン思想、ルネッサンス建築の代表作のフィレンツェの孤児院(罪なき子供の家)、欧米各国に見られるデザインの優れた公共住宅を参考にすべきです。

アメリカの芸術家支援策

ニューヨークタイムズ4月6日の記事によると、COVID19で困っている芸術家支援策が紹介されていました。サンフランシスコ市、ミネソタ州セントポール市、カリフォルニア州オークランド市(サンフランシスコ市の対岸側)、ジョージア州アトランタ市などでコロナ禍で経済的に困難な芸術家の支援を始めました。サンフランシスコ市の場合、130人の芸術家に半年にわたり1000ドル(約10万円)を援助するとのことです。日本と比べ、欧米では文化芸術に対する意識、位置づけが高いです。

中国深圳市オペラハウス国際コンペ。フランス人建築家ジャン・ヌーヴェル入賞。

中国深圳市が実施したオペラハウス国際コンペで、フランス人建築家ジャン・ヌーヴェルが入選しました。ヌーヴェルは東京都港区にある電通本社の設計で日本でも知られた建築家です。デザインのコンセプトは、音楽が海と出会う場所で、従来よくある閉じられた空間としてのオペラハウスでありません。新たな時代の新しい造形です。延床面積は22万2千㎡。市役所は開かれた国際コンペを実施しました。14か国から100作品以上の応募がありました。

[原田コメント]体制が異なる中国、深圳市役所が素晴らしい公共建築を創り出そうと努力していることに敬意を表します。一方、デザインや技術の質を問わず、安易に入札(価格競争のみ)で作家を決めている日本政府、自治体は中国の深圳市役所を見習うべきです。

アメリカ建築家協会、バイデン大統領への要望

アメリカ建築家(AIA)は1月8日バイデン大統領への要望の論説記事を掲載しました。「パンデミック後の建築に影響を与える政策、その展開に期待」というタイトルです。そのポイントは以下の通りです。

公正なクリーンエネルギーの未来、建築分野で働く人々のための十分な報酬確保のため、持続可能なインフラを構築する必要がある。バイデン政権は、ゼロエミッションの公共交通、4年間で400万棟の建築の質の向上、200万戸の耐久性の改善など新しいニューディールを計画している。具体的には使われなくなったオフィスを低家賃住宅への用途転換である。こうした事業で100万人の十分な賃金の雇用を創出する。

また、バイデンは150万戸の持続可能な住宅を建設したいと言いている。しかし、どこに、どのような方法で、という具体策が見えない。我々は住宅都市開発省は要らない、その代わり、住宅再生・都市再開発省を必要とする。また、空間計画省を必要とする。鳥瞰的な計画策定でなく、一戸一戸の住宅計画、近隣住区の再生、公共空間の創出から始めるべきだ。

さらに、雇用と平等を増加させる技術に投資してほしい。

さて、日本で政権が交代し、新しい首相が就任した際、建築学会や建築士会など都市政策、建設投資などに要望書を出したと聞きません。政策に大いに提言をすべきです。

ベルリンの壁崩壊30年、共産主義体制の反省、国民が選ぶ体制、社会?

1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊しました。私は1999年11月国際建築アカデミー(本部はブルガリア)が主催するベルリンの壁崩壊10周年記念シンポジウムに招聘され参加しました。共産党独裁体制だった旧ソ連が崩壊し、衛星国だった東欧諸国で民主化が広がりました。言論や移動の自由が認められ、自由主義経済体制となりました。

私はブルガリアにある国際建築アカデミーの客員教授を務め、多くのブルガリア人、東欧の建築家とお付き合いしています。また、1980年代初頭妻が世界の指導的立場のロシア人チェリスト、ロストロポービッチが来日した際通訳をしたのでご本人から共産党政権時代の実態を直接聞きました。こうした実態を日本のマスコミはほとんど伝えませんでした。アメリカの批判をしても(アメリカはマスコミを脅しませんから)共産主義国家の批判はタブー(特派員が逮捕されたり強制退去されることを恐れていました)でした。ロストロポービッチ氏は「ソ連共産党員が文化芸術を支配し、共産党のために演奏しろ、勝手な芸術解釈は認めない」と強制されたそうです。また、氏はノーベル文学賞作家ソルジェニツィンを隠れて支援したし、与えられていた高級住宅、高級乗用車などの特権は全てはく奪され、その上、国外追放され、(世界的有名人でしたから逮捕されませんでした)、ソ連共産党の歴史からロストロポービッチの名前は全て抹殺されました。

チェッコスロバキアの建築家は共産党政権時代、自由に出版物に接することができなかったので、日本大使館に行き日本からの建築雑誌を見て日本の建築デザインについて情報収集したと言っていました。

1960年代、日本人ピアニスト田崎悦子さんが留学先のニューヨークのジュリアード音楽院からハンガリー、ブダペストのリストの勉強をしたいと訪問した際、ハンガリーの秘密警察が田崎さんをずーっと監視していました。(無駄な、バカバカしい行為)知人のハンガリー人ピアニストと面会した際、ハンガリー人ピアニストは小さい声でささやくように田崎さんに話しかけたそうです。盗聴マイクがあちらこちらに仕掛けられているからです。

1990年頃早稲田の建築の後輩がモスクワ大学に留学しました。多くの仲間がアメリカや西欧に留学しているので珍しいところに留学しようとモスクワ行きを決めたそうです。彼の話では、モスクワでパン一個買うのに3時間行列に並んだそうです。

政権批判はタブー、政権批判をすると逮捕、監禁、下手すれば死刑。ハンガリー動乱(ハンガリー市民がソ連に抵抗し、弾圧された事件)やプラハの春事件が思い出されます。今や、多くの東欧の仲間が旧共産党時代を批判しています。

3度留学(アメリカとスウェーデン)した体験で、多くの分野で世界中からアメリカに学生、研究者が集まります。自由に議論できるからです。スポーツ選手も芸術家もアメリカを目指す方は多くいます。

ベルリンの壁を超えようとして東ドイツの警察、国境警備隊(?)に多くの東ドイツ人が射殺されました。東ドイツ政府は銃で脅さなければ国民は西ドイツに逃げるという自らの国家の欠陥を承知していました。自由に行き来きできることは最低限の権利です。壁を作り、銃で脅したわけです。ばかげた政治、統治が行われていました。

改めてこうした歴史を学ぶ必要があります。アメリカとスウェーデンで学んだこと、友人や教授たちから「思うことは何でも発言せよ」でした。相手がだれであっても。上司でも、指導教官でも。

スウェーデン研究所で学生の研究発表

10月31日(木)スウェーデン大使館でスウェーデン含めた北欧4か国に訪問、2週間程度でフィールド調査した内容を明治大学の学生、東洋大学の学生、アイセックという学生の交換留学を展開する世界的な公的組織のアイセックの学生がこの夏に体験した活動報告をしました。指導教官の指導よろしく学生たちは立派な調査をし、立派にプレゼンをしました。私が同年齢の学生の立場なら、こうした素晴しい調査結果を出せたかどうか。私は1971年スウェーデンに留学しましたので、そうした観点から学生のプレゼンを拝聴しつつ学びました。

調査に参加した学生は順番に報告しました。働き方、都市環境、職場環境、小学校見学、・・・すばらしい経験です。彼ら彼女らが将来社会の指導者レベルに到達したら大いに日本を変えてくださいと応援のメッセージを伝えました。

1971年、ストックホルムで私が体験したこと。ストックホルム工科大学で6割が女子学生。地下鉄、バスの運転手の半数が女性。残業なし。午前、午後30分休憩時間。小学校教育では「個」重視、グループ学習。日本の社会と全く異なりました。現在もです。

私はコメントで、今後、①職業別での女性の比率、(特に建築やエンジニアリングの世界で)、②労働対価としての給料、③議会での議論の進め方、女性政治家の活躍ぶり、④都市構造、東京圏では1時間半程度の通勤は当たり前、だから子育てがしにくい状況、職住近接が必要です、⑤防衛分野での女性の社会進出、などの分野で研究を発展させてはいかがか、と発言しました。学生の皆様、頑張ってください。

アメリカ、オハイオ州フィンドレー市交流団来日

アメリカ、オハイオ州フィンドレー市の交流団が来日しました。ご縁有り10月27日(日)川口ロータリークラブ主催の歓迎懇親会に私も招かれご挨拶しました。メンバーはクリスティーナ・マーン(Christina Muryn)市長(女性27歳)、ディーナ・オストランダー(Dina Ostrander)女性市議会議員、パット・サドウスキー(Pat Sadowski)弁護士、フィンドレー市商工会議所・経済開発組織理事長、ティム・マイリー(Tim Mayle)市経済開発局長、クリス・オストランダー(Chris Ostrander)経済開発局技術アドヴァイザー、川村宏明フィンドレー大学準教授の6名です。経済ミッションで、川口市(姉妹都市、ロータリークラブの姉妹クラブ)、福井県庁、オハイオ州に進出している日本企業など、訪問したそうです。フィンドレー市は人口5万人。世界的企業が市内に進出しています。ラストベルト(錆びついた地域)の中で財政は豊です。

驚き。まず、市長の若さです。オハイオ州で最も若い市長です。若くても周囲がついてゆきます。日本では(港区では)政策立案能力がなくてもただベテランだというだけで「俺が影の区長だ」と威張りまくるベテラン議員がいましたが。日本(港区)のガバナンスは幼稚園レベルです。次に、交流ミッション団のメンバー構成です。日本だと、海外視察というと、政治家だけ、行政職員だけ、研究者だけ、民間企業職員だけ、というスタイルが多いと思いますが、フィンドレー市の交流団は政官学民と横串で連帯し来日しました。お互いが同じ体験を共有し、政策の決定が速やかにできます。3番目はメンバーはファーストネームで呼び合い、官民の格差、先輩後輩の年齢格差などなく、全員水平型のチームです。4番目は精力的に動き回っています。こうした方法は日本も参考にすべきです。日本で政治家の出張は半分は遊びではないかと疑念を感じています。報告書は自ら書かないで旅行代理店が営業目的もありゴーストライターを務めていると思います。今後、フィンドレー市との交流が発展することを祈っております。

私は50年前の1969年早稲田大学の交換留学生としてオハイオ州にあるウースター大学に留学しました。オハイオ州は第二の故郷です。懐かしい気持ちで6人のメンバーとお話をしました。

ニューヨーク市警察委員長が実施。不祥事対応。不正警官を見て見ぬふりする同僚警官は同罪。港区では。

「ニューヨーク市の治安政策」についてこの春10万字の小論を明治大学ガバナンス研究科紀要論文で発刊しました。インターネットで閲覧できます。90年代ニューヨーク市の警察委員長を勤めたブラットン氏が尽力し、ニューヨーク市の犯罪を激減させた中心人物です。

一方不祥事対策も見事です。不祥事を起こした警察官に対し厳し態度で臨みました。多くのメディアを集め、犯罪を犯した警察官から警察官バッジを取り上げるセレモニーをしました。そして、「警察官に就任した際、社会のために警察官バッジを使うと誓いの言葉を述べたのに、警察官バッジを私利私欲のために悪用しけしからん。」とお説教しました。で、懲戒免職にしました。日本の警察も学ぶべきです。同様のことをすべきです。

さらに、お説教で訓示した事。「同僚の警察官は不正を見て見ぬ振りし、警察官の不正を助けた。したがって同罪である。」と大変厳しいお言葉。

港区役所で、官製談合、開発利権を区長の立場で耳にし、私は厳しく取り締まる姿勢を取りました。議員が主導しているという話を耳にしました。実際事務手続きは行政がします。つまり、行政側が手を貸さなければ不正はできません。私の時のU助役、N政策経営部長などはこうした不正を知っていました。しかし、不正を改善しようとしませんでした。私が強引に正しました。こうした最高幹部は同罪です。その程度の意識の幹部職員でした。残念なことでした。現区長の武井さんは私の時の人事課長。おとなしい人物。建築や都市開発の知識は無し。そうした勢力にとり都合が良かったのでしょう。