月別アーカイブ: 2013年9月

アシアナ航空機事故と女性の活躍

2013年7月6日アシアナ航空機がサンフランシスコ空港で着陸に失敗、炎上、3人が死亡という事故が報道されました。
日本の新聞記事やテレビ画面を見て「驚き」と「やっぱり」という気持ちになりました。
報道写真に写っていた燃える飛行機に立ち向かった消防士は女性でした。また、その後事故機の調査に入った連邦航空局事故調査委員会チームリーダーが女性でした。
アメリカからの報道写真を見て、アメリカでの女性の社会参画の状況が理解できます。
女性消防士がいの一番に火災現場に行く、あるいは、航空機事故調査官が女性というのは、日本ではありません。そもそも、日本の大学の機械科に女子学生はほとんどいません。
高校の進路指導で大いに機械科で学ぶよう女子生徒に刺激を与える必要があります。大学は機械科に女性を受け入れる努力をする必要があります。同時にその環境整備(女子トイレ整備、女子学生の就職相談支援等)をする必要があります。官庁も航空機メーカーも女性技術者を積極的に採用する努力が必要です。
報道写真一つ見ても、様々な課題を学ぶことができます。

 

海外体験の衝撃-その3

その3は衝撃を受けた社会の仕組みの違いです。
1969年アメリカに留学した頃、日本では大学紛争、特に東大の入試中止がありました。ベトナム戦争が激化していました。アメリカの大学や社会で、議論する際の基本ルールを体験しました。お互いが相手に敬意を表し、互いの意見を聞きあう、議論を深めるということです。
言論の自由です。判断する国民の熟度が高いと思いました。タイム、ニューズウィーク等の一般週刊誌ですら、戦争の残虐な写真やオールヌードの写真が掲載されます。日本なら税関で黒塗りです。おそらく現在も。国家権力は国民におせっかい。国民は異物に感情的な反応。西欧的な成熟社会にはもう少し時間がかかります。
アメリカの地方自治を体験しました。異なる市を訪問すると、警察官の制服やパトカーのデザインが異なります。また、消費税率も異なります。次第に分かったことは、市役所ごとに警察部があり、自治体警察であること、つまり、自分の地域は自分で守るという考え方です。消費税率はある市は8%、隣の市は10%と異なり、市のサービス水準と歳入のバランスをとるため税率を頻繁に変更していることがわかりました。
人口30万人くらいの都市になると、「市営」国際空港があります。地元の経済活性化のため、自ら、空港や港湾を整備します。空港に着くと市長の笑顔で「歓迎」という大きなポスターが掲示されています。
留学中、日本についてのニュースは、全学連が暴れまくっている報道くらい。後は大阪万博の開園式のニュース。日本についてアメリカの報道機関は関心がないと認識。今もです。PR下手の日本側の責任もあると思います。

1971年スウェーデンでの衝撃です。
8月15日、いわゆるニクソンショックを体験しました。銀行の外為は全部閉鎖。ドルの交換ができませんでした。当時、日本の外為だけが営業を続け、世界中のドルが日本に集まりました。当時の大蔵省は(エリート役人の集団ですが)なすすべもなく、世界中の圧力で円高にシフト。教訓、日本も為替市場を閉鎖すべきでした。日本のエリートは定常的な問題処理は得意ですが、突然の難題には解決能力に問題あり、昔も今もと思いました。
ストックホルムの地下鉄は24時間運行。地下鉄やバスの運転手の半数は女性。女性の社会進出には驚きました。
消費税は10%、今は25%。所得税、社会保険は45%。今は70%。
医療費、福祉、教育は無料。人権社会。言論の自由。
中立国ですが、人口800万人で、軍人は60万人。国防費予算の15%(福祉費も15%)
日本からの報道。9月17日の新聞で成田闘争で警察官が3人殺される、また、公明党の竹入委員長刺される等、結構多くの日本初のニュースがありました。驚きの連続でした。

1974年から76年、ライス大学建築大学院の留学時代。
1975年ニューヨーク市の財政破たんの報道。バラマキと都市政策の不適応が原因。
市役所職員の親切、市議会の議論の方法が役に立ちました。日本は未成熟。
サンベルト、スノウベルトの時代を感じました。今はスノウベルトでなく、ラストベルト(錆)と称されています。
サンベルトの中核都市のヒューストンは、人口規模で、クリーブランド、デトロイトを抜き全米4位に。
将来が楽しみと感じました。最近デトロイトも財政破綻しました。
中国の鄧小平はヒューストンを訪問しました。先見の明があります。日本の総理でヒューストンを訪問した方はいません。(1990年のヒューストンサミットに出席した海部首相は別ですが)前例踏襲主義と思います。

若い時の衝撃の体験談です。驚きの連続でした。違いがあることを認識しました。海外礼賛ではありません。
お互いに違いを理解してこそ、国際理解ができます。

 

 

海外体験の衝撃-その2

建築の追加です。
ホール建築の椅子のレイアウトです。東京の映画館、音楽ホールなどは東京都の条例で横12席毎に縦の避難通路を設けなければなりません。
1970年ヒューストンにある有名なコンサートホール、ジョーンズ・ホールを見学した際、いわゆる「コンチネンタルシート」で横40席位位の椅子が連続でレイアウトされていました。避難用縦方向の通路はありません。
1971年ストックホルムの公共ホールで、日本映画を見ました。このホールでも椅子は横一列で、縦方向の貧用通路はありません。ちなみに見た日本映画は榎本健一主演の「虎の尾を踏む男達」1945年、三船一郎主演「隠し砦の三悪人」でした。スウェーデン人の他国文化への関心の高さに驚きです。

驚きその2は大学編です。
1969年に留学したオハイオ州のウースター大学は1500人規模、全寮制です。
まず、驚いたのは、学生による教授の評価です。
学期末、突然教授が紙を配布するので、予告なしの試験かと驚いて見ると、学生による教授の授業評価表です。教授の授業はわかりやすいか、声の大きさは適切か、授業を休まなかったか、授業の準備をしたか、
試験の内容は適切か、等です。驚きました。日本でも採用すべきと思いました。
パワハラ、セクハラ、さぼり癖のある悪質教授の排除に役に立ちます。教授も競争原理が必要です。
施設の充実。
ダイニングルームは一流ホテルのレストラン並みのインテリア、食べ放題、寮のリビングルームにグランドピアノが置いてありました。寝室も立派でした。

1971年スウェーデンに留学した時の目撃談です。
ストックホルム工科大学の建築科の女子学生は60%です。建築は6年制です。
卒業と同時に建築士の免許を授与されます。国立大学の卒業=能力証明で、自動的に資格が取れます。
日本は、基本は全員卒業です。それから、国家試験です。

1974年アメリカ、ヒューストンのライス大学建築大学院に留学した際の目撃談です。
聴覚障害の学生がいました。手話通訳を通して高度な勉強をしていました。50歳代の学生が2人いました。
教育と研究の分離です。高い授業料を納めますから学生は教授から多くのことを学び取るという姿勢です。
教授のお手伝いは一切ありません。もし、研究のお手伝いをすると、高額の報酬が、大学の研究所からいただけます。私は、インターンで1975年の夏休み大学の研究所で働きました。給料は800ドル約25万円でした。当時日本の初任給は5万円程度。
教授が学生にお手伝いをさせたら、授業料返還の訴訟となるでしょう。日本の大学は現在も学生は教授のお手伝いを通し学ぶという方法が一般的と思います。

 

海外体験の衝撃

大いに海外体験をし、衝撃を受けるべきです。特に若い時は。
私は、20歳の時アメリカ、22歳の時スウェーデン、25歳でアメリカと3回留学をしました。その都度、衝撃的な体験をしました。おそらく幕末政府代表団として欧米を訪問した使節一行と同じ思いと思います。
建築・都市分野で、大学で、社会等それぞれで衝撃受けました。
まず、建築、都市で受けた衝撃です。
20歳の時です。
シカゴで片側10車線の広い高速道路の上にシカゴ中央郵便局がありました。日本ではそういう発想はなしし、提案しても拒否されます。
ホームステイをした友人宅は、中央にバスルームがありました。日本の住宅は、水回りは北東にあります。
22歳の時です。
スウェーデン、ストックホルムで受けた衝撃です。アパートは中央駅から地下鉄で10分。駅前に高層アパートが数棟あり、1階は商業、保育園、低層部は単身者向け、高層部は家族向けの住宅です。周囲は白樺林。都市計画、土地利用がしっかりしていました。
オフィスインテリアは環境植物が配置され、合理的な方法で机が配置されていました。日本のオフィスは管理職が窓側でその前でスタッフの机が窮屈に6から10台配置されているのが見慣れた景色です。
フィンランドの代表的建築家レイマ・ピエティレ(大好きな建築家です)に面会しました。
25歳の時です。
ヒューストンは全米5位(今は4位)の大都市です。都市計画に用途規制がありません。全米唯一の方法です。計画なき所に開発許可なしの原則で、日本の都市計画と全く異なる方法です。帰国後体験談を話したら信じてもらえませんでした。
世界的な建築家フィリップ・ジョンソンがデザインしたペンゾイル・ビルは当時世界で最も美しい超高層オフィスと評価されました。超高層ビルのデザインも工芸品のようにデザインされていいました。
フィリップ・ジョンソンに面会しました。
テキサス州サンアントニオ市の運河沿いの遊歩道、柵ががありません。落ちたら自己責任です。日本なら設置者が損害賠償の責任を取らされます。
続編で、衝撃の体験「大学」「社会」を2回にわたり書きます。

 

スウェーデンの文化・教育分野の給与

1971 年スウェーデンに留学した際、政府の給与統計を見て驚きました。文化・教育分野の給与の高さです。
俳優(26~30歳)440ドル、音楽家(経験6年)520ドル、コーラス・バレー380ドル、博物館学芸員(経験5年)700ドル、図書館司書540ドル、資料館文書管理員700ドル、工場労働者370ドル、サラリーマン(26~29歳)490ドル、高校教師(経験5~10年)700ドルです。
音楽等芸術分野の給与が高いです。スウェーデン社会の文化・教育に対する評価でもあります。労働組合、契約等社会の仕組みがしっかりできています。
私が建築事務所でいただいた学生インターンの給料は340ドルでした。(1700スウェーデンクローナ)
1970年当時、アメリカの大卒の初任給で教員は500ドルでした。
日本では、今日でも、音楽家、俳優等は上記のような給与をもらっていないと思います。建築デザイン分野も同じです。食えない職業と分類されています。
文化、芸術の振興は待遇面の改善も大きな課題です。
OECD諸国で、教育分野の国民一人あたりの予算は、日本は最低です。
政治家、経営のトップが文化・教育にもっと理解していただく必要があります。

容積率と建蔽率:日本の都市を形成する要素

日本の都市形成は、容積率と建蔽率によります。容積率は建築基準法52条、建蔽率は同53条に規定されています。建物の階数、高さは無関係です。結果、統一感のない街並みが形成されます。また、時には高さについて近隣紛争が生じます。
容積率と建蔽率の規制だけでは、敷地の規模により、何階でも建築可能です。建築主は「合法」と主張し、近隣住民は「困る」と対立します。
今後、統一感ある街を形成するため、また、近隣紛争をなくすため、地域の特性に配慮し、「高さ・階数」の要素を建築基準法に含めるべきと思います。
江戸時代は奉行所、代官所が建物の高さ、主たる材料を決め、規制していました。結果的に、美しい街並みが形成されました。幕末日本に来た欧米人はその美し街並みを礼賛しました。
今日、日本は先進国の一つですが、率直なところ、先進国で最も不揃いな街並みを形成しています。
港区長時代、都市計画の見直しをしました。住宅地を守るという視点で、北側斜線の高度制限(同法55条・56条)を規制強化しました。ところが、規制強化は困るという陳情が多く寄せられました。
地域ごとに、最高高さが決められていると良いと思います。もっとも、高さ規制を決めるまでがまた大変です。

キング牧師のワシントン行進と音楽

9月1日の朝CNN放送で50年前のキング牧師のワシントン行進の回顧報道がありました。何十万人が広場に集まり公民権を要求する政治運動でした。非暴力で、アメリカ的なデモと思いました。
報道番組で感じたことです。
デモ行進の中でフォークソングの演奏あり、ソプラノ歌手の歌あり、ロックありと音楽のイベントもありました。音楽があると、堅苦しい演説や野次もなく、政治運動も楽しいものになります。日本の政治運動も音楽あふれる内容にすると、楽しく、多くの方が参加できると思います。関心の度合いも高まります。
大統領就任式もワシントンナショナル交響楽団のクラッシック音楽の演奏、ダンス、歌があります。日本の式典は異なります。堅苦しいものが多いです。
私は港区長退任の際、「港区歌」を自らピアノ演奏し、職員と港区歌を大合唱し、職員の皆さんに感謝しました。楽しい5分間のセレモニーとしました。
舞台裏の話をすると、庶務担当部長N氏からこうした行事は「前例がないからするな」と言われました。時代や状況、音楽を理解できない人物でした。氏は現在港区の文化財団の理事長、おっどろきーぃ!