日別アーカイブ: 2014年12月1日

建築家菊竹清訓についてのシンポジウム

平成26年11月30日、早稲田大学大隈講堂で建築家菊竹清訓氏の心というテーマでシンポジウムが開催されました。菊竹氏は私の実務上の恩師です。いつも刺激を下さった方です。文化庁主催、早稲田大学が後援です。10月28日から2月1日まで、湯島にある国立近現代建築資料館で菊竹清訓展が開催されています。私は実行委員会の末席をけがしております。シンポジウムのパネラーを務めました。菊竹先生を語るにはもっとふさわしい方がいますが、おそらく、弟子の中で風変わりな経歴ということで出演の指示があったと思います。

47年前早稲田大学1年生の11月、設計課題でスカイハウス(菊竹自邸)の模型を作りました。バルサとセメダインでです。他の模型は全て壊し捨てましたが、スカイハウスの模型だけは大切に保存していました。スカイいハウスの模型は私にとり重要文化財で、菊竹先生の遺影、位牌と同じで、菊竹先生の声が聞こえます。

日本書紀に、天照大命の長男がアメノオシホミミの命、現在の天皇家です、次男がアメノホヒの命で現在の出雲大社の宮司、千家家です。菊竹先生は昭和38年出雲大社の庁の舎の設計をし、日本建築学会賞はじめ有力な賞を受賞しました。後年、菊竹先生の一番弟子の内井さんが現天皇陛下の住まいを設計しました。菊竹先生と菊竹スクールは在野にあって日本書紀に出てくる家柄の住まいを設計したという素晴らしい業績をお持ちです。日本書紀の最後に、補遺で、この点を記述したいです。

留学から戻り27歳の時に菊竹先生の事務所でご厄介になりました。密集地域の改良住宅の計画を担当、先生から「マクロ、ミクロ」とキーワードを支持されました。合意できるところで合意する、(マクロ)、小さな課題解決を積み上げる(ミクロ)です。今日の合意形成につながるアイデアです。

78年8月筑波センタービルのコンペの担当を指示されました。朝の打ち合わせで「夕方まで10案作りなさい」と指示され驚きました。また、議論で「現代建築に問われる課題は何か」と聞かれ、答えに窮しました。

その年、秋に地方都市で国鉄の遊休地に教育施設を作るプロジェクトで、私は東京に戻りゆっくり考えようとしたら、菊竹先生は新幹線の中で「すぐ1案作りなさい」と指示、隣からアドバイスいただき30分くらいで1案を作りました。「ほらできたでしょう」と。「ちょっとビールでも飲みなさい」と車内販売のビールを買ってくださいました。乾杯のビールでないですが「とりあえずビール」でなく「とりあえず1案」です。

1964年の京都国際会議場のコンペで、菊竹先生はエレベーターが会議の場所であるとコンセプトを出しました。当時の審査員は理解できませんでした。私は港区長を務め、エレベーターや廊下が実質上のひそひそ話の重要な会議空間であると実感しました。当時国際会議の実績が少ない日本で、良くこのような発想が生まれたと驚嘆です。

また、港区内に2階建ての木造住宅だらけの昭和30年頃、超高層ビルで300メートルの高層図を作成しました。今になると当たりまえの高さですが。鋭い直観力です。

勘所が優れている建築家です。プロフェッショナリズムに徹した建築家です。

海外の会議でもご一緒しました。日本の建築士制度のPRをしました。構造も設備もわかるのが日本の建築士だと。また、日本の建設会社の技術力の高さをPRしていました。外国人建築家が日本でよい仕事ができるのは日本の建設会社の技術力がその根底になると。建築士会、建設業界は菊竹先生を顕彰しなければなりません。もっともっと菊竹先生について語りたいと思います。

 

区長秘話その7

平成12年6月の区長選のポスターの写真撮影は、地元選出で官房副長官だった与謝野馨氏が、公務ご多忙の中、ご自身の事務所にあるスタジオで撮影してくださった。自民党区議団幹事長のS氏(選対事務長)がご案内下さった。私の妻と親戚の美容師が同道し、写真撮影前に化粧、ヘアスタイルを整えてくれた。与謝野氏と雑談しながら自然の笑顔が出るまでシャッターを切る。自然の笑顔がなかなか作れません。36枚のスライドフィルムを13本くらい使いました。与謝野氏が現像し、いくつかよさそうなフィルムにマークしてくださり、「後は原田さんが選んでください」とのことで、自分でベストショットを選びポスター写真としました。S氏は化粧したことで、すでに偽りが始まった、と冗談ぽく語りました。

フィルム13本撮って下さったので、フィルム代のことが心配になり、秘書の方に電話をし「フィルム代をお支払いしたいのですが」と申し入れると、ベテランの秘書の方が「原田さんは自分のことだけ心配してなさい」と言われました。

与謝野馨氏から、「区長選挙の後、衆議院議員選挙があり、自分は港区内19か所周りミニ集会で挨拶をすることになっています。そこに一緒についてらっしゃい、原田さんを紹介しますから。僕のことは一切心配いりません。原田さんはご自分のことだけ心配してなさい。」と言われ、同道しました。政治集会に出るのは初めてですが、短い時間で要領よく自分の政治信条を語る姿は誠実そのもの。与謝野氏は笑顔をださず、いつもポーカーフェイス。

与謝野馨氏のライバルの海江田万里氏からも応援を受けました。氏が開催する集会で、区長選出馬の挨拶をしました。海江田氏は大きな体を曲げ挨拶し、また、笑顔で、パーフォーマンス十分。対比的です。

応援くださる方がライバル同士というのは、私にとりつらいものがありました。さらに、支援を受けた公明党、社民党の幹部の皆様からも挨拶の機会をいただきました。