フィンランドを代表する建築家、私の若い頃はレイマ・ピエティレでした。彼の作風は私の好みでした。1971年スウェーデンに留学した際、せっかくの地の利を生かし、できたらピエティレに会い、氏のデザイン論を聞いてみたいと思い、フィンランド人の友人に建築家の住所録を調べてもらい、ピエテレ氏に面会のお願い状を出しました。直筆のはがきの返事がありました。(今でも大切に保管しています)面会OKとの回答でした。大喜びで氏の事務所(ヘルシンキ市内)を訪問、スタッフは数名)氏と面会、氏の建築デザイン論を聞きました。フィンランドの大統領官邸は氏のデザイン。(日本なら大手の設計事務所しかそういう仕事ができない制度がおかしいです)22歳の建築学科の学生にとり、フィンランドの代表的な建築家から直接デザイン論を聞くことができ大いに勉強になりました。ヘルシンキ工科大学の学生センター、タンペレ市の教会などが氏の代表的作品です。表現主義、自然のフォルムがモチーフです。
アメリカを代表する建築家、当時は、フィリップ・ジョンソン。モダニズムをベースに、ガラスと鉄の建築デザインをしました。氏の実務上の恩師はドイツ生まれ、アメリカで活躍したミース・ファン・デル・ローエ。1975年ライス大学建築大学院に留学中、ニューヨークに行く機会に氏に面会をお願いしました。幸い1時間いただきました。マンハッタンのパークアヴェニューに面したシーグラムビル(当時の名前)にある氏の事務所を訪問しました。冗談の好きな方でした。ストライプの濃紺のスーツ。氏の事務所では所員はスーツを着ながら図面を描くそうです。というのは、クライアントが一流企業で、打ち合わせに呼ばれた際、服装も大切な要素であるとのことで、常時スーツを着ていたそうです。氏は30代中盤にハーヴァード大学デザイン大学院を修了。大金持ちだったので修士設計は実際の建築を作ったとのこと。氏の自宅は広大で、氏がデザインした建築が分散立地し、氏の死後は建築の美術館になったそうです。
今思いますに、若さ故のズーズーしさ、学生のズーズーしさ、よく言えば挑戦心で、世界のトップレベルの建築家に面会し、デザイン論を吹っ掛ける風変わりな学生でした。私の特技でもあります。