31歳で独立自営、約40年近く設計・コンサルタント事務所を経営してきました。若干のスタッフはいますが、私個人の事務所という程度の零細規模です。いくつかの銀行、銀行員とお付き合いしてきました。共産党など資本主義・銀行嫌いの政党の言葉でありませんが、晴れている時に傘を貸してやると言い、雨の日に傘を取り上げる、というたとえ話は本当だと思います。
事務所設立時、父親の紹介で富士銀行に口座を設けました。最初の段階で、資金繰りの都合で当時の国民金融公庫から300万円借り入れました。その後、三和銀行溜池支店の営業マンが飛び込みで弊事務所に来訪、ぜひ口座を開設してほしいと言われ、新規に口座を開設しました。弊事務所の隣に太陽神戸銀行六本木支店があり、毎日のように営業が来訪、根負けし口座を開設しました。友人の営業で埼玉銀行赤坂支店とも口座を開設しました。三井系の会社とお付き合いがあり、三井銀行六本木支店に口座を開設しました。
1986年頃、港区役所の金利支援による融資支援の制度を活用し、三井銀行六本木支店と実績作りと思い、融資に申請に行きましたら、ロビーで待たされた挙句、本日担当者がいませんのでお帰り下さい、と侮辱的な対応をされました。三井銀行と付き合うのを止めました。行員の失礼なマナーを支店長にアッピール。支店長が一人で謝罪にすっ飛んできました。
1988年、ニューヨーク市へ出張するので、隣にある太陽神戸銀行六本木支店に、ある朝ドル交換に行きました。「今ドルがないので午後まで待ってほしい」と言われ、驚きました。外国人が多い六本木で、銀行にドルが置いてない有様です。取引止めました。
時はバブル時代、三和銀行の営業マンが来訪、2000万円融資します、それで保険に入り、半年後に解約し、お金が戻り、有利な資産運用になりますとの説明がありました。金融商品に関心がないので融資を受けませんでした。その後、バブル崩壊。もし、融資を受け保険に加入していたら大変な損害があったはずです。
私の仕事の多くは公共事業。たとえば6月に1000万円の契約をすると、翌年3月に業務が終了し、4月に契約金が振り込まれます。その間収入は一円もありません。したがってこの間の資金繰りのため(スタッフや自分の給与、外注先への支払いなど)ある程度の額を銀行から融資を受け、事務所運営をします。特に12月の賞与の時には銀行の融資が必須です。毎年お金を借りては翌年春に返済しの繰り返しです。
1998年、貸しはがしという社会事件がありました。12月三和銀行の営業マンに、「また、私の定期預金を担保に1000万の借入お願いします」と申し入れしました。すぐOKと返事。その翌日、「貸せない」と連絡がありました。豹変。貸しはがしです。私は三和銀行溜池支店の営業マンに強く抗議しました。すると、融資しますと回答。バカな営業マンとその上司です。当時15年程度の付き合いがあり、銀行に何ら迷惑をかけたことがなく、零細企業ながら、20年近い事業実績がありましたが。様々な状況を評価判断し、顧客を支援するのが銀行の役割です。
2005年頃、母の介護の都合で、郊外にある母の住まいを処分し、都心にマンションを買う計画を立てました。マンション購入の現金をすぐ用意できません。80歳の母では融資を受けることができません。母の住まいを処分するまでの間、資金需要が生じます。私が三菱銀行六本木支店(三和銀行と合併)を訪問、融資の相談をしました。女性行員、曰く、「年収の5倍までです。」驚きました、そのようなこと、子供でも発言できます。融資の目的、期間、それから最も大切な20年にわたる銀行との取引実績など総合的に評価すべきでした。年収の5倍までと発言するなら私でも銀行の融資担当を勤まります。融資担当の銀行員のオツムのレベルはこの程度かと思い知らされました。
時々、海外へ少額ながら(数万円程度)学会や出版社の支払いなどあり、三菱東京UFJ銀行六本木支店に送金の依頼に行きます。その時なぜかカウンターの女性行員は私の預金通帳を見せろと言います。理由が分りません。送金に必要な現金は手元に持っているのにです。通帳を丸々見せろというのは私のプライバシーを晒すことになります。思わず、カウンターの女性行員に「あなた私の前で裸になれますか?」と言いたくなりました。この女性行員もオツムがどうかしているのではと思います。
時々、国際会議で海外に行きます。三菱東京UFJ六本木支店の外為でドル、ユーロの交換に行きます。せいぜい、数万円程度の交換ですが、氏名、住所、電話番号など記入させられます。欧米へ出張の際、外貨交換で氏名、住所、電話番号を記入させられたことは20歳から現在までありません。観光立国など標榜しながら、日本の外為は50年前と同じ事務手続きをしています。銀行の外為のスタッフのオツムがおかしいと思います。
最近大手銀行で数千人のリストラを計画していると報道がありました。さもありなん、こんな程度の銀行員なら不要と思います。知的作業をしないし、できません、まともに融資の審査ができません。冒頭書きました三井銀行も太陽神戸銀行も埼玉銀行も、三和銀行も、今や姿を消しました。私の体験で、実質、資金的援助をタイムリーにいただいたのは国民金融公庫でした。