日別アーカイブ: 2018年3月15日

鬼畜米英からアメリカ大好きに、我が両親。

私の父親は大正8年生まれ。1919年。太平洋戦争では駆逐艦の水兵。米軍の射撃で足を負傷しました。母は昭和元年生まれ。娘時代、B29 の空襲で逃げ回りました。英語は敵性語という理由で学びませんでした。

時が経過し、1976年、両親は私の留学地のヒューストンに私を訪ねて来ました。友人のTim Watson君が「是非泊まってくれ」と彼の家にホームステイさせてもらいました。Timの父親はB29のパイロット。出撃中、日本上空で撃墜され(まぐれでしょう)遺体は不明。Tim曰く、「日本そのものが父親の墓である」とのこと。親が戦争し、子供は親友。

私の両親はTim夫婦に大変温かいもてなしを受けました。また、私自身がアメリカ(奨学金で)に、また、留学先の大学、友人に親切にされていることを認識しました。両親はTimの自宅(良好な住環境の地域)周辺で散歩していると見知らぬアメリカ人から「Good morning, How are you?」と気楽に、親切に声をかけられ、アメリカ人の親切さ、陽気さに偉く感心し、アメリカが大好きになりました。もしかして一部の方からアメリカかぶれと言われそうですが。父親からすれば、戦争中戦っていたアメリカに来て、親切にされ、あの戦争は何だったのかと、腹の中で呟いていたと思います。私も帰国後、父親が周囲の方にアメリカはすばらしい国だとべた褒めの発言。戦争中、欧米を礼賛する発言はタブー。英語は禁止。野球で、セーフは良し。アウトはダメ。本当にダメな社会、組織でした。言論の自由を許さない体制を許せません。私はアメリカとスウェーデンで、発言の自由を徹底し鍛えられました。

戦前の軍事独裁政権の愚かさ。困るのは人民。最近の東芝、オリンパス、一昔前のJAL,国鉄、一部役所。社長、トップはバカの塊。知識の欠如。無能であるにもかかわらずその地位にいること自体が目的かしたバカなトップ連中。また、ばかなトップを批判できなかったバカ社員や部下の責任もあります。バカなトップの発言を聴きたいです。マスコミがそうした役割を果たすべきですが、果たしていません。トップの選び方を考えるべきです。港区長時代、見たくもない、ばかな幹部や政治家を見ました。もちろん、すばらしい方も多くいますが。

銀行とのおつきあい、問題だらけ、銀行員はまともか?

31歳で独立自営、約40年近く設計・コンサルタント事務所を経営してきました。若干のスタッフはいますが、私個人の事務所という程度の零細規模です。いくつかの銀行、銀行員とお付き合いしてきました。共産党など資本主義・銀行嫌いの政党の言葉でありませんが、晴れている時に傘を貸してやると言い、雨の日に傘を取り上げる、というたとえ話は本当だと思います。

事務所設立時、父親の紹介で富士銀行に口座を設けました。最初の段階で、資金繰りの都合で当時の国民金融公庫から300万円借り入れました。その後、三和銀行溜池支店の営業マンが飛び込みで弊事務所に来訪、ぜひ口座を開設してほしいと言われ、新規に口座を開設しました。弊事務所の隣に太陽神戸銀行六本木支店があり、毎日のように営業が来訪、根負けし口座を開設しました。友人の営業で埼玉銀行赤坂支店とも口座を開設しました。三井系の会社とお付き合いがあり、三井銀行六本木支店に口座を開設しました。

1986年頃、港区役所の金利支援による融資支援の制度を活用し、三井銀行六本木支店と実績作りと思い、融資に申請に行きましたら、ロビーで待たされた挙句、本日担当者がいませんのでお帰り下さい、と侮辱的な対応をされました。三井銀行と付き合うのを止めました。行員の失礼なマナーを支店長にアッピール。支店長が一人で謝罪にすっ飛んできました。

1988年、ニューヨーク市へ出張するので、隣にある太陽神戸銀行六本木支店に、ある朝ドル交換に行きました。「今ドルがないので午後まで待ってほしい」と言われ、驚きました。外国人が多い六本木で、銀行にドルが置いてない有様です。取引止めました。

時はバブル時代、三和銀行の営業マンが来訪、2000万円融資します、それで保険に入り、半年後に解約し、お金が戻り、有利な資産運用になりますとの説明がありました。金融商品に関心がないので融資を受けませんでした。その後、バブル崩壊。もし、融資を受け保険に加入していたら大変な損害があったはずです。

私の仕事の多くは公共事業。たとえば6月に1000万円の契約をすると、翌年3月に業務が終了し、4月に契約金が振り込まれます。その間収入は一円もありません。したがってこの間の資金繰りのため(スタッフや自分の給与、外注先への支払いなど)ある程度の額を銀行から融資を受け、事務所運営をします。特に12月の賞与の時には銀行の融資が必須です。毎年お金を借りては翌年春に返済しの繰り返しです。

1998年、貸しはがしという社会事件がありました。12月三和銀行の営業マンに、「また、私の定期預金を担保に1000万の借入お願いします」と申し入れしました。すぐOKと返事。その翌日、「貸せない」と連絡がありました。豹変。貸しはがしです。私は三和銀行溜池支店の営業マンに強く抗議しました。すると、融資しますと回答。バカな営業マンとその上司です。当時15年程度の付き合いがあり、銀行に何ら迷惑をかけたことがなく、零細企業ながら、20年近い事業実績がありましたが。様々な状況を評価判断し、顧客を支援するのが銀行の役割です。

2005年頃、母の介護の都合で、郊外にある母の住まいを処分し、都心にマンションを買う計画を立てました。マンション購入の現金をすぐ用意できません。80歳の母では融資を受けることができません。母の住まいを処分するまでの間、資金需要が生じます。私が三菱銀行六本木支店(三和銀行と合併)を訪問、融資の相談をしました。女性行員、曰く、「年収の5倍までです。」驚きました、そのようなこと、子供でも発言できます。融資の目的、期間、それから最も大切な20年にわたる銀行との取引実績など総合的に評価すべきでした。年収の5倍までと発言するなら私でも銀行の融資担当を勤まります。融資担当の銀行員のオツムのレベルはこの程度かと思い知らされました。

時々、海外へ少額ながら(数万円程度)学会や出版社の支払いなどあり、三菱東京UFJ銀行六本木支店に送金の依頼に行きます。その時なぜかカウンターの女性行員は私の預金通帳を見せろと言います。理由が分りません。送金に必要な現金は手元に持っているのにです。通帳を丸々見せろというのは私のプライバシーを晒すことになります。思わず、カウンターの女性行員に「あなた私の前で裸になれますか?」と言いたくなりました。この女性行員もオツムがどうかしているのではと思います。

時々、国際会議で海外に行きます。三菱東京UFJ六本木支店の外為でドル、ユーロの交換に行きます。せいぜい、数万円程度の交換ですが、氏名、住所、電話番号など記入させられます。欧米へ出張の際、外貨交換で氏名、住所、電話番号を記入させられたことは20歳から現在までありません。観光立国など標榜しながら、日本の外為は50年前と同じ事務手続きをしています。銀行の外為のスタッフのオツムがおかしいと思います。

最近大手銀行で数千人のリストラを計画していると報道がありました。さもありなん、こんな程度の銀行員なら不要と思います。知的作業をしないし、できません、まともに融資の審査ができません。冒頭書きました三井銀行も太陽神戸銀行も埼玉銀行も、三和銀行も、今や姿を消しました。私の体験で、実質、資金的援助をタイムリーにいただいたのは国民金融公庫でした。

星野仙一氏、野村サッチー女史の死亡後の記事

星野仙一元監督、野村元監督夫人の野村サッチー女史が亡くなり、多くの報道がありました。お二人とも様々な社会的事件を起こしながら、なぜか、マスコミや世間から大きな制裁、批判を受けることがありませんでした。お二人の仁徳か、ユニークなキャラクターなのか、はたまた、記者たちとうまくやって黙らせていたのか?分りません。

もし、私が指導者として部下を出血するほどぶんなぐれば、今の時代、マスコミから叩かれ、警察も傷害罪容疑で取り調べると思います。また、サッチーが叩かれたような行動を私がすれば社会から相当な批判を受けると思います。

私は、真面目に仕事に取り組んできた、という自負がありますが、なぜか、逆にたたかれる傾向にありました。たたきやすい相手と思われたのでしょう。星野氏や野村女史に対する社会の対応をみていると、一方で、マスコミや警察、社会のいい加減さも感じます。