日別アーカイブ: 2018年3月16日

ご指導いただいた方、その2.本吉暢浩氏。

本吉さんは1980年代、読売新聞の編集委員、論説委員として都市政策分野でご活躍された新聞記者。いつもお声をかけていただきました。「遊びにいらっしゃい」と気楽に言っていただきました。ご厚意に甘え、光が丘のご自宅に子連れで何回かお邪魔しました。また、読売新聞社の論説室にお邪魔しました。東京問題、日本の都市の在り方など、熱く意見交換しました。本吉さんは読売新聞主催の住宅都市セミナーの主催者、司会者で、いつも招待状をいただきました。私が港区長時代は論説委員が交代で別の方が司会でしたが、私もパネラーの一人として招かれ都心居住について発言させていただきました。

1984年事務所を六本木に構えた時、本吉さんが弊事務所に立ち寄り、事務所の家具など見ながら、「ある組織で家具を処分すると言っているから、僕が紹介するからその不用品となる家具をもらい使ったら」と言われ、すぐその組織に訪問、処分した家具をいただきました。その家具は現在も使用中です。

若手の新聞記者時代の都市問題の取材の思い出話など聞かせていただき、また、建設省や東京都の委員を務めている立場から最新情報を勉強材料にいただきました。大いに勉強させていただきました。

ご指導いただいた方、長谷川徳之輔さん。

これまで多くの方にご指導いただきました。ブログでも時折、指導教官のことをふれました。さらにご指導いただいた方について思い出話を。長谷川徳之輔さん。1990年代、土地問題の評論家としてたびたびテレビに出演。もともと建設省の役人。その後、明海大学不動産学部教授に転身。

1981年の読売新聞マイタウン論文コンクールで一緒に入賞したご縁で個人的に親しくなりました。1982年、株式会社を設立した際、原田さんに仕事をと奔走してくださり、ある都市開発の調査研究の事務局のお仕事を紹介くださいました。何くれとお声をおかけいただきました。1985年頃ボストンに出張に行くということでたまたま東京を訪問していた旧知のハーヴァード大学日本研究所長、ペリー教授を長谷川さんに東京でご紹介。長谷川さん「ペリー先生、何かご協力できることがありますが?」、ペリー教授「ケイミに仕事を出してやれ」と発言され、私がびっくりしました。エピソードです。その後、1995年、建設省が21世紀ビジョン委員会を立ち上げるので長谷川さんから原田さんに委員に就任してほしいと依頼がありました。光栄なことでした。

長谷川さんは即地主義、現場主義の方。土地問題を机上でなく、現場を歩き、その歴史を100年くらいの期間の地図を収集、分析するという手法。様々意見交換というより、一方的に教えていただきました。土地問題を語る際の長谷川徳之輔さんの熱い思いが伝わってきました。大いに勉強させられました。残念ながら2年前にお亡くなりになりました。

長谷川さんの影響を受け、私自身も土地問題について小論を書いてみようと考えております。

1998年建築基準法解説本を書き「民間人のくせに生意気だ」と耳に。

1998年、理工系出版社オーム社から急な依頼で「改正建築基準法の解説本を書いてほしい」と依頼がありました。執筆期間は何度1か月。知人の東京都建築指導課職員のSさんに協力してもらい、2人の共同作業で何とか1か月で書き上げました。出版後、旧知の東京都建築指導部監理課長Mさんから「部下が、原田という民間人が建築基準法の解説本を書いて生意気だと言っているけど、気にするな」とご注進がありました。驚きました。公務員が民間人に対する侮辱です。官が偉い、民間人が法律の解説本を書くなんでとんでもないという意識がとんでもないです。東京都の公務員は一般的に優秀です。しかし、民間にも多くの優秀な専門家がいます。また、様々な経験を持っている民間人が多くいます。そういう認識がなく、ただ公務員というだけで民間人を卑下する公務員は困ったチャンです。研修所、上司などが徹底し思想教育すべきです。

原田さんはダーティーハリーみたい。

1974年、フルブライト留学する前、知人のご夫妻からご自宅に食事に招かれました。ご主人はスウェーデン人、奥様は日本人です。スウェーデン留学の思い出話や、建築デザインのこと、社会事象のことなど様々な会話をしました。その時、奥様から「原田さんの話を聞いていると、原田さんはダーティーハリーみたいですね」と言われました。私はダーティーハリーのことを当時知りませんでした。「ダーティーハリーとはなんですか?」と尋ねました。奥さま曰く、「アメリカの警察官で、警察内部の不正に果敢に立ち向かい、不正を重ねる同僚警察官を成敗する正義の警察官の物語」とのこと。数年後、ダーティーハリーの映画を実際見て、なるほど、同感と思った次第です。港区長時代、区役所で私はダーティーハリーのような役割を演じていたかなと感じております。私を後継者に口説いたS元区長、私の性分をしらず、とんでもない人物を選んだのかもしれません。私は口説かれた際S氏に「真面目に仕事します、不正を見たら正します。それでよいですね」が私の発言でした。