故与謝野馨氏お別れ会に参加

平成29年7月5日(水)正午、青山葬儀場で故与謝野馨氏のお別れ会が開催されました。自由民主党と与謝野家合同の開催です。弔辞は安倍晋三総理、弔詞は大島理森衆議院議長、友人代表の弔辞は元検事総長但木敬一氏。各政党党首、閣僚なども参列。安倍総理の弔辞は「与謝野先生は政策の職人」と尊敬の詰まった内容でした。2000人くらいの参列者がいたようです。私は献花した後、奥様とご長男にご挨拶しました。お疲れでおつらい状態ですが逆に笑顔で私に挨拶の言葉をいただきました。「主人は国政のことはわかりますが地方政治のことは分らないので原田さんから勉強させてもらいました」という趣旨でした。こうした状況で奥様は心落ち着かせ私のような年下の者に逆に温かい言葉をかけていただきかえって恐縮しました。

振り返ると、平成12年4月元区長S氏から後継者として港区選に出馬してほしいと突然くどかれ、直ちにお断りしました。その2,3日後与謝野氏から電話(実際は秘書の方)是非区長選に出馬してほしいと連絡をいただき、背中を押されたような気持ちになりました。当時与謝野氏は官房副長官。区長選用のポスターの写真を自ら撮影してくださいました。与謝野氏は「私のことは一切心配いらない。原田さんは自分のことだけ心配してください」と心遣いの言葉。

区長就任後、与謝野氏は私に一切働きかけはなく、距離を置きながら温かく見守って下さるような状態でした。時には区政報告をしたいという私の申し出でに「私に一切心配はいらない」と返事。与謝野氏は笑顔を見せませんでした。最近分かったことは与謝野氏は若い時に癌を患い、いつ再発するかという不安を抱く中で政治に精一杯取り組んでいたということと思います。ある時与謝野氏から夕食のお誘いがあり、その後二次会へ案内され弾き語りのお店でギターをバックに与謝野氏は英語、フランス語などの歌を歌い、私も留学時代、好きになったアメリカの歌やラテンの歌を歌い、深夜2時、3時まで楽しく六本木で過ごしました。与謝野氏の芸の幅に驚きました。

政治家与謝野氏の挨拶は要点を短い言葉で説明するさすがという内容でした。政治に無関係な私を温かく応援いただきました。与謝野氏から広く社会を勉強させていただきました。合掌

 

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