長野県内の国宝建築を堪能しました。

伝統建築を勉強する友人と長野県内の国宝を視察しました。定番の善光寺、青木村の大法寺三重塔(上田市からアクセス)(パンフレットをいただき見たら説明書きはお世話になった元文化財研究所所長、文化功労者の伊藤延男先生の解説でした)、別所温泉そばの安楽寺八角の三重塔、北向観音、大町市の仁科神明宮、松本城、松本市内の旧開智学校です。近世、上田地域は塩田の平と呼ばれ、豊かな地域だったそうです。力ある勢力が入り乱れた理由が分ります。

善光寺は間口24m、奥行き50m、高さ25m、外陣、内陣、さらに内内陣と奥が深い平面計画です。通常のお寺と入口の向きが逆です。天台宗と真言宗が1年ごとに担当するという変則的な運営をしています。大法寺は山間の勾配地にあり、三重塔が一番奥に立地し、その美しい姿から見返りの塔と言われています。安楽寺八角三重塔は禅宗様で全国的に珍しい造形です。同道した宮大工曰く、八角の建造は手間が3倍はかかるだろうとのこと。北向観音堂も全国的に例がない作りです。要は善光寺と向き合って配置されたということです。両方をお参りするとご利益があります。仁科神明宮は、伊勢神宮の支店のような位置づけ。伊勢神宮が20年ごとの式年造営で必要とするヒノキの森を確保するためのお伊勢さんの拠点の一つです。仁科神明宮も当初、20年ごとの式年造営がされていたそうですが、費用がかかるとのことで1700年頃から式年造営を止め、当時のままの姿が現在に残っています。姿は伊勢神宮と似ています。ヒノキの森林に囲まれた神社で、また、参拝時は雨であったので他に参拝者はおらず、雨に煙る美しい神社の姿を見ることができました。松本の開智学校は明治9年(1876年)疑似洋風の建築です。装飾、色彩など見事です。日本の大工、建築技術の素晴らしさが伝わってきます。明治時代の教育資料も展示されています。先生が書いた問題児の取り扱いについての記録、視覚障がい者の生徒が在籍、貧しい子供たちのために夜間小学校の開催、考えれば今の学校より教育内容が進んでいたのではと思います。

機会ありましたら長野の国宝めぐりをぜひ。泊まった別所温泉の中松屋旅館、素敵な女将のおもてなしと郷土史家の橋詰さんの真田家や上田の歴史講義に感激しました。

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